住民の虐殺は南京城内だけではなかった
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/24 07:34 投稿番号: [38442 / 41162]
戦時下、日本軍は
満州を除く
中国領土に
約70万人、
敗戦時には 約100万にものぼる 大軍を 派兵していた。
しかし 都市と交通網だけ、つまり 点と線を 抑えただけで
農村部まで 完全に 押さえることは、できなかった。
「現地自活」方針をとっていた日本軍は 食糧を確保するため
市場価格よりも大幅に安い価格で 米などを強制買い付けした。
また 国民党軍や共産党軍に対する 経済封鎖を行なったため、
都市に農産物が入らず、農村には工業製品が 入らなくなり、
そこに 日本軍は、物資調達のため軍票や円系通貨を乱発した。
このため、激しいインフレを引き起こすことになってしまった。
1940年9月の第一期晋中作戦以降の 日本軍の徹底した燼滅・
粛清作戦は、中国側からは 三光作戦などと よばれた。
1942年からは、万里の長城沿いの地域の無人区化が図られた。
これは 八路軍の活動を封じるために この地域を「無人区」に
しようとした作戦であり、対象となった村は すべて焼き払われ、
抵抗する村人は 殺された。 追い出された人々は、「人囲い」と
呼ばれた集落に集められたが、農地も家畜も不足し、酷い環境の
下で、伝染病や 飢えのために 多くの犠牲を出した。
長城のすぐ北側の 熱河省興隆県では、この「無人区」化により
7万戸余りの民家が 焼かれ、3万頭余りの家畜が 奪われた。
1万5402人が 殺され、約1万5千人が 強制労働のために
満州に連行され、そのほか 凍死、餓死、病死者を 多数出した。
その結果、16万余りの人口が 10万人余りにまで 減少した。
こうした 三光作戦や 「無人区」化作戦によって、
1941年から 翌年にかけ 華北の 抗日根拠地の面積は
6分の1に、 人口は 4000万から 2500万人に、
八路軍の兵力は 40万から 30万人に 減少した。
(参考:姫田光義・陳平『もう一つの三光作戦』青木書店)。
しかし、こうした日本軍の作戦は 中国民衆を より一層、
抗日に 追いやった。 1944年以降、日本軍が太平洋戦線に
部隊を転用したことと、連合国軍の援助を受けた中国軍の強化が
進んだこと、また 解放区からの反攻が始まったこと などから
日本軍の戦線は、縮少しはじめた。
軍事的にも経済的にも 日本軍の崩壊が 進みはじめたのだ。
アジア解放という美名で飾っても、他国領土に大軍を派兵し、
物資を奪い、人々を殺害し続けたのだから、占領地の人々が
敵にまわったのは、いたって 当然のことだった。
強力な 連合国軍ばかりでなく、民衆までも 敵にまわして
しまったのだから、日本軍に 勝ち目などは なかった。
敗戦時には 約100万にものぼる 大軍を 派兵していた。
しかし 都市と交通網だけ、つまり 点と線を 抑えただけで
農村部まで 完全に 押さえることは、できなかった。
「現地自活」方針をとっていた日本軍は 食糧を確保するため
市場価格よりも大幅に安い価格で 米などを強制買い付けした。
また 国民党軍や共産党軍に対する 経済封鎖を行なったため、
都市に農産物が入らず、農村には工業製品が 入らなくなり、
そこに 日本軍は、物資調達のため軍票や円系通貨を乱発した。
このため、激しいインフレを引き起こすことになってしまった。
1940年9月の第一期晋中作戦以降の 日本軍の徹底した燼滅・
粛清作戦は、中国側からは 三光作戦などと よばれた。
1942年からは、万里の長城沿いの地域の無人区化が図られた。
これは 八路軍の活動を封じるために この地域を「無人区」に
しようとした作戦であり、対象となった村は すべて焼き払われ、
抵抗する村人は 殺された。 追い出された人々は、「人囲い」と
呼ばれた集落に集められたが、農地も家畜も不足し、酷い環境の
下で、伝染病や 飢えのために 多くの犠牲を出した。
長城のすぐ北側の 熱河省興隆県では、この「無人区」化により
7万戸余りの民家が 焼かれ、3万頭余りの家畜が 奪われた。
1万5402人が 殺され、約1万5千人が 強制労働のために
満州に連行され、そのほか 凍死、餓死、病死者を 多数出した。
その結果、16万余りの人口が 10万人余りにまで 減少した。
こうした 三光作戦や 「無人区」化作戦によって、
1941年から 翌年にかけ 華北の 抗日根拠地の面積は
6分の1に、 人口は 4000万から 2500万人に、
八路軍の兵力は 40万から 30万人に 減少した。
(参考:姫田光義・陳平『もう一つの三光作戦』青木書店)。
しかし、こうした日本軍の作戦は 中国民衆を より一層、
抗日に 追いやった。 1944年以降、日本軍が太平洋戦線に
部隊を転用したことと、連合国軍の援助を受けた中国軍の強化が
進んだこと、また 解放区からの反攻が始まったこと などから
日本軍の戦線は、縮少しはじめた。
軍事的にも経済的にも 日本軍の崩壊が 進みはじめたのだ。
アジア解放という美名で飾っても、他国領土に大軍を派兵し、
物資を奪い、人々を殺害し続けたのだから、占領地の人々が
敵にまわったのは、いたって 当然のことだった。
強力な 連合国軍ばかりでなく、民衆までも 敵にまわして
しまったのだから、日本軍に 勝ち目などは なかった。
これは メッセージ 38441 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.