虐殺=組織的犯行を裏付ける証言の一部
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/19 05:10 投稿番号: [38249 / 41162]
十三師団山砲兵第十九連隊第三大隊に所属していた上等兵は、
陣中日記の中に
以下のとおり
記述している。
拾二月拾六日
晴
午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯の目的にて馬風山
方面 に向ふ 、二三日前捕慮せし支那兵の一部
五千名を
揚子江の沿岸に連れ出し
機関銃を以て射殺す、
其の后
銃剣にて
思う存分に突刺す、
自分も此の時ばかりと憎き支那兵を三十人も突刺した事で
あろう。
山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは
鬼をもひしがん勇気が出て
力一ぱいに
突刺したり、
うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も
居る、
一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、
こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、(略)
帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P350〜351)
機関銃を使用したうえ、死に切れない者を「思う存分に突刺」
したという記録だ。
刀で首も切ってみた、珍しい体験だった、
とも述べている。
このような
“珍しい体験”
をしたのが
この上等兵だけに
限ったことでないことは、数多の
証言や
記録からも
うかがい知ることができる。
次に、南京周辺で墜落した日本軍機搭乗員の
遺体捜索活動に
従事していた
海軍将校の記述を、以下に
引用しておこう。
下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の
要衝であった。
浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、
爆撃したところでもあった。
下関には
かなり大規模な
停車場と開源碼頭(波止場)があった。
そこで、その付近を
見回っているうちに、陸軍部隊が
多数の中国人を
文字通り虐殺している現場を見た。(略)
構内の広場に入って見ると両手を後ろ手に縛られた中国人
十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に
投棄されていた。
(奥宮正武『私の見た南京事件』より)
こうした
数多くの証言によって、南京では
組織的に、
相当
手際よく、数日間にも
わたって、捕虜の殺害が
行われていた実態が判る。
これは メッセージ 38248 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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