人々が目撃した南京市の「その時」(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/17 23:46 投稿番号: [38230 / 41162]
「・・・・12月20日
または
その前後の午後7時ごろ、
日本兵は、労務のために連れてきた支那民らの 手のひらを
検査して、そのうち5人は 手にタコがあることを発見され、
日本兵に銃剣で突き殺された。私も現場にあって手の検査を
受けたので、このことを目撃した。 日本兵が私を幕府山に
連行するとき、私は多数の支那人の死体が道路またはその他
のところに転がっているのを目撃した。その中に小児も多数
加わっていた。小児を含めた大多数は 銃剣で突き刺されて
死んだのである。」 (呉経才証言)
「敵軍(日本軍)入城後、まさに 退却しようとする 国軍
(中国軍)及び難民男女老幼の合計5万7418人を幕府山
付近の村に閉じ込め、飲食を断絶された。 凍餓し死亡する
者が多かった。1937年12月16日の夜間に至り、生き
残った者は鉄線で2人を1つに縛り、4列に並ばせ、下関・
草鞋峡に追いやられ、機銃で悉くこれを掃射し、さらにまた
銃剣で 乱刺し、最後には 石油をかけて これを焼いた。
焼却後の残屍は、みな揚子江の中に 投げ入れた」
(南京地方法院検事への魯甦による証言)
何が いったい、日本軍兵士を このような 残虐行為に
駆り立てたのだろうか。
①上海から南京に到る間での 予想以上の大激戦・大出血、
②山東出兵以来の「便衣隊」(抗日ゲリラ) に対する恐怖、
③捕虜用食糧の絶対的不足、そして、それらに加えて、
④危険で忌まわしい事態の発生を予測できる立場にいながら
防止策を執らなかった参謀本部・陸軍省・軍司令部の無能と
無責任・・・・ といったことが、挙げられる。
この点について、当時 南京城攻撃を指揮した第16師団
第30旅団長であった佐々木到一陸軍少将が残した手記は、
重要なポイントを 落としていない。 以下に引用しよう。
「(12月13日)・・・その後俘虜続々投降し来り数千に
達す、激昂せる兵は上官の制止をきかばこそ 片はしより
殺戮する。 多数戦友の流血と 十日間の辛惨を顧みれば
兵隊ならずとも 『皆やつてしまへ』 と云ひたくなる。
白米は 最早一粒もなし、城内には有るだらうが、俘虜に
食はせるものの持合せなんか 我軍には無い筈だった。」
被害者側の証言と加害者側の記録、そして従軍記者の回想、
その時、その場所にいた人々、体験、目撃した人々の言葉、
いずれもが 歴史の事実を伝える一級資料であると言える。
一方、それらを すべてをウソだと言いはる 否定派は、
世界中を探しても、日本国内の一部にしか棲息していない。
日本兵は、労務のために連れてきた支那民らの 手のひらを
検査して、そのうち5人は 手にタコがあることを発見され、
日本兵に銃剣で突き殺された。私も現場にあって手の検査を
受けたので、このことを目撃した。 日本兵が私を幕府山に
連行するとき、私は多数の支那人の死体が道路またはその他
のところに転がっているのを目撃した。その中に小児も多数
加わっていた。小児を含めた大多数は 銃剣で突き刺されて
死んだのである。」 (呉経才証言)
「敵軍(日本軍)入城後、まさに 退却しようとする 国軍
(中国軍)及び難民男女老幼の合計5万7418人を幕府山
付近の村に閉じ込め、飲食を断絶された。 凍餓し死亡する
者が多かった。1937年12月16日の夜間に至り、生き
残った者は鉄線で2人を1つに縛り、4列に並ばせ、下関・
草鞋峡に追いやられ、機銃で悉くこれを掃射し、さらにまた
銃剣で 乱刺し、最後には 石油をかけて これを焼いた。
焼却後の残屍は、みな揚子江の中に 投げ入れた」
(南京地方法院検事への魯甦による証言)
何が いったい、日本軍兵士を このような 残虐行為に
駆り立てたのだろうか。
①上海から南京に到る間での 予想以上の大激戦・大出血、
②山東出兵以来の「便衣隊」(抗日ゲリラ) に対する恐怖、
③捕虜用食糧の絶対的不足、そして、それらに加えて、
④危険で忌まわしい事態の発生を予測できる立場にいながら
防止策を執らなかった参謀本部・陸軍省・軍司令部の無能と
無責任・・・・ といったことが、挙げられる。
この点について、当時 南京城攻撃を指揮した第16師団
第30旅団長であった佐々木到一陸軍少将が残した手記は、
重要なポイントを 落としていない。 以下に引用しよう。
「(12月13日)・・・その後俘虜続々投降し来り数千に
達す、激昂せる兵は上官の制止をきかばこそ 片はしより
殺戮する。 多数戦友の流血と 十日間の辛惨を顧みれば
兵隊ならずとも 『皆やつてしまへ』 と云ひたくなる。
白米は 最早一粒もなし、城内には有るだらうが、俘虜に
食はせるものの持合せなんか 我軍には無い筈だった。」
被害者側の証言と加害者側の記録、そして従軍記者の回想、
その時、その場所にいた人々、体験、目撃した人々の言葉、
いずれもが 歴史の事実を伝える一級資料であると言える。
一方、それらを すべてをウソだと言いはる 否定派は、
世界中を探しても、日本国内の一部にしか棲息していない。
これは メッセージ 38229 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.