人々が目撃した南京市の「その時」(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/17 23:44 投稿番号: [38229 / 41162]
それは、1937年12月16日の
明け方のことだった。
当時
東京朝日新聞の従軍記者だった
今井正剛は、
揚子江を臨む
下関の埠頭で、尋常ならざる光景を目撃した。
下関は、南京市の外港とも言ってよい
重要な船着場だが、
その南京市は、既にその3日前、日本軍に占領されていた。
今井正剛は、「その時」に
目撃した
事実を、回想して
以下のように
記している。
「碼頭一面は真っ黒く折り重なった死体の山だ。その間を
うろうろと
うごめく人影が、50人、100人ばかり、
ずるずるとその死体を引きずっては、河の中へ投げ込んで
いる。
うめき声、流れる血、痙攣する手足。
しかも
パントマイムのような静寂。
対岸がかすかに見えてきた。
月夜の泥濘のように碼頭一面がにぶく光っている。
血だ。
やがて、作業を終えた苦力たちが河岸に一列に並ばされた。
だだだっと機関銃の音。のけ反り、ひっくり返り、踊るよう
にして、その集団は
河の中へ落ちていった。
終わりだ。」
この虐殺は、捕虜となった
中国兵たちに対して、
また、一般の市民たちの中から便衣兵と見なされ逮捕された
者に対して、そして
戦場から避難してきた一般市民に対し、
次々と
実行された。
当時、「Nanking Atrocities」として
世界中に知られた
この虐殺事件は、日本国民だけには
知らされなかった。
一般国民が
この事実を知ったのは、虚飾に満ちた大本営の
発表が敗戦により終了した後、国際裁判によって
だった。
当時の
国際軍事法廷の速記録から、いくつかの
事実を
再現してみよう。
「人々は、河の堤の上に
点呼を受けるために行くように
言われ、河の堤防に男女は
整列していると、トラックが
機関銃を据え付けてやって来た。トラックの中の日本兵は
人民に向けて発砲した。
15人ないし20人の兵士が各
トラックに乗っていた。また、軍刀を持った日本軍将校が
1人ずつ、各トラックに乗っていた。
私は、発砲された
人々のところから、約40フィート離れた
炊事場にいた。
この惨劇は、1時間ほど続いた。
機関銃で撃ち殺された
人々は
1万人あったと思う」
(孫永成証言)
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