南京虐殺事件にみられる戦争の実相(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/12 14:07 投稿番号: [37381 / 41162]
南京大虐殺として
事件が国際的に知られるようになったのは、
難民区をふくむ市内での 「敗残兵の掃蕩」、「便衣兵の剔出」
による 集団処刑が 外国人の眼にふれたことによってだった。
中国軍の 南京防衛軍司令官唐生智恵は、12月12日夕刻
「各隊各個に包囲を突破せよ」 と命令し、ひそかに揚子江を
渡って 脱出した。
このため 中国軍は 一挙に崩壊し、脱出するもの、投降するもの、
武器を捨て 軍服を脱いで便衣(中国人の平服)に着替えて市内に
潜伏するものなど、完全に 四散して 軍隊としての 戦闘能力は
完全に消滅していた。
これに対し 日本軍は、市内の「中国軍」 の徹底的な「殲滅」を
命令し、市内の掃蕩を行なった。
この掃蕩は、皇族の朝香宮も参加する17日の「入城式」 の前に、
市内に潜む 「中国兵」狩りを 目的としたものだった。
つまり、すでに「中国軍」として 組織的軍事行動が消滅した中で
敗残兵と見なした中国人民を狩りたて、まともな取り調べもせずに
当然、軍法会議にかけることもなく、現場で次々と殺害したのだ。
また、自ら投降してきたものも 陸戦協定に基づく 処遇をせずに
ただちに殺害した。
“宮様”も参加する入城式を成功させるために、数日間にわたって
すでに戦闘能力を失った敵に対し、徹底した掃蕩作戦が展開された。
12月13日に 第十軍が発令した 南京城内攻撃作戦命令では、
「各兵団は城内に対し 砲撃はもとよりあらゆる手段を尽くして
敵を殲滅すべし」 「これが為要すれば城内を焼却し特に敗残兵の
欺瞞行為に乗ぜられざるを要す」 と示していた。
仮に、民間人の中に 中国の敗残兵が潜んでいたとしても、
非戦闘員である市民の居住区、さらに外国人も残留している
城内に対して、砲撃や 焼き払いなどを行なうというのは、
まさに 無差別攻撃であり、大量破壊行為にほかならない。
さらに 驚くべき命令が出る。 第十六師団の歩兵第三十旅団が
12月14日午前に下達した 城内掃蕩の命令では、
「各隊ハ 師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」とある。
すでに 城内の各所で 掃討作戦が行なわれている この時点で、
「敵を捕虜にするな」 とは、何を意味するのか。
「掃討」は、文字通り 見つけ次第に命を討ち取る行為となった。
13日から 14日にかけての 城内掃蕩によって、どれだけの
中国兵 もしくは敗残兵と見なされた 中国人が 殺されたのか
明確ではないが、中山路以南の掃蕩を担当した 第九師団だけに
限っても 「7千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」(第九師団作戦経過概要)
と記録していることから、他の師団を 合わせれば、
何万人もの 無抵抗の中国人が、短期間に 殺されたことが分かる。
難民区をふくむ市内での 「敗残兵の掃蕩」、「便衣兵の剔出」
による 集団処刑が 外国人の眼にふれたことによってだった。
中国軍の 南京防衛軍司令官唐生智恵は、12月12日夕刻
「各隊各個に包囲を突破せよ」 と命令し、ひそかに揚子江を
渡って 脱出した。
このため 中国軍は 一挙に崩壊し、脱出するもの、投降するもの、
武器を捨て 軍服を脱いで便衣(中国人の平服)に着替えて市内に
潜伏するものなど、完全に 四散して 軍隊としての 戦闘能力は
完全に消滅していた。
これに対し 日本軍は、市内の「中国軍」 の徹底的な「殲滅」を
命令し、市内の掃蕩を行なった。
この掃蕩は、皇族の朝香宮も参加する17日の「入城式」 の前に、
市内に潜む 「中国兵」狩りを 目的としたものだった。
つまり、すでに「中国軍」として 組織的軍事行動が消滅した中で
敗残兵と見なした中国人民を狩りたて、まともな取り調べもせずに
当然、軍法会議にかけることもなく、現場で次々と殺害したのだ。
また、自ら投降してきたものも 陸戦協定に基づく 処遇をせずに
ただちに殺害した。
“宮様”も参加する入城式を成功させるために、数日間にわたって
すでに戦闘能力を失った敵に対し、徹底した掃蕩作戦が展開された。
12月13日に 第十軍が発令した 南京城内攻撃作戦命令では、
「各兵団は城内に対し 砲撃はもとよりあらゆる手段を尽くして
敵を殲滅すべし」 「これが為要すれば城内を焼却し特に敗残兵の
欺瞞行為に乗ぜられざるを要す」 と示していた。
仮に、民間人の中に 中国の敗残兵が潜んでいたとしても、
非戦闘員である市民の居住区、さらに外国人も残留している
城内に対して、砲撃や 焼き払いなどを行なうというのは、
まさに 無差別攻撃であり、大量破壊行為にほかならない。
さらに 驚くべき命令が出る。 第十六師団の歩兵第三十旅団が
12月14日午前に下達した 城内掃蕩の命令では、
「各隊ハ 師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」とある。
すでに 城内の各所で 掃討作戦が行なわれている この時点で、
「敵を捕虜にするな」 とは、何を意味するのか。
「掃討」は、文字通り 見つけ次第に命を討ち取る行為となった。
13日から 14日にかけての 城内掃蕩によって、どれだけの
中国兵 もしくは敗残兵と見なされた 中国人が 殺されたのか
明確ではないが、中山路以南の掃蕩を担当した 第九師団だけに
限っても 「7千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」(第九師団作戦経過概要)
と記録していることから、他の師団を 合わせれば、
何万人もの 無抵抗の中国人が、短期間に 殺されたことが分かる。