朝鮮半島
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2011/10/27 00:13 投稿番号: [37245 / 41162]
★・・1901年4月に生まれた昭和天皇は,皇太子時代のちょうど20歳のとき関東大震災に遭遇した。
皇室の関係者は,ほかの誰よりもより正確な「朝鮮人虐殺」〔および社会主義者虐殺〕に関する,当局側からの情報に接しうる立場にあったはずである。
だからこそ,戦争中〔昭和17:1942年12月〕においてもそのように,「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」と述懐したものと推察される。
昭和天皇の知性・人間性からみて,この文句:「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」が,はたしてどのような方向性,すなわち,a)「朝鮮人が震災時に騒擾したから虐殺事件は起きてしまった」と誤解していわれたものなのか,
それとも b)「朝鮮人が虐殺された事実:事件の発生そのもの」を嘆いていわれたものなのか,判然としない。
また,そのどちらであるかを適確に判断する手がかりもとくに与えられてはいない。しかし,皇太子時代に体験した関東大震災につづいて「朝鮮人の虐殺」事件が生起していた事実が,昭和天皇の意識において強く記憶されていた。
関東大震災時に発生した「朝鮮人虐殺事件」などは,当時「日本の国際的対面の問題というより,朝鮮民族解放闘争へのおそれ,事件の国際問題化への警戒が先行してものであった」といわれていた(姜,前掲書,270頁)。皇太子時代の裕仁はすでに,この逆説事件を国際政治的な次元・視点より観察しうる感性をもちあわせていた。
2) 昭和天皇のなかの朝鮮人問題−21世紀への宿題−
昭和天皇の父:大正天皇は,日本帝国が植民地にしたのち,滅亡させることになる「朝鮮」王朝の王子末裔:「李 垠」をたいそう可愛がっていたという。
その息子であった皇太子(昭和天皇)も,大正時代におけるそうした父の行為をしっていたはずである。昭和天皇自身が抱いていた「朝鮮人観」はさておく話とするが,関東大震災時に発生した「朝鮮人虐殺」の真相をよくしりうる立場であったからこそ,「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」と回想したのではないか。これが本ブログ筆者の推理である。
ただし,関東大震災時に惹起された「朝鮮人虐殺行為」はたしかに,昭和天皇の記憶のなかには収められているものの,それ以上に「なにかをいうための材料」にまで生かされていた様子はない。
敗戦後,自国民〔=赤子:臣民〕さえ平然と犠牲にしたうえで,自家族の安心・利害のためだけにうまく立ちまわり,生き延びてきたのが裕仁氏のやりかたであった。
それゆえ,すでに手放した植民地の民衆のことなど〔だが,かつての帝国臣民の4分の1にもなる人数を誇っていた!〕は,すでに蚊帳の外に追放した他国・異民族でしかなかった。
かつて日本帝国が戦争・侵略し,支配・統治した東アジア諸国・諸地域の人びとに向かって,声高にとなえていた「一君万民」「一視同仁」「東洋平和」「五族協和」などの政治理念は,まったくの嘘っぱちであった。
敗戦後も日本国内で生きていかざるをえなくなった朝鮮人たちは,その後もつづいて昭和天皇にとっては「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」という歴史を,この日本社会に刻みつづけていくことになった。
しかし,在日朝鮮人問題は日本の政治社会問題の恥部として隠蔽されてきたかぎり,旧日本帝国の残滓を清算することもできていなかった。
3) 時代はかわった
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=3683830
皇室の関係者は,ほかの誰よりもより正確な「朝鮮人虐殺」〔および社会主義者虐殺〕に関する,当局側からの情報に接しうる立場にあったはずである。
だからこそ,戦争中〔昭和17:1942年12月〕においてもそのように,「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」と述懐したものと推察される。
昭和天皇の知性・人間性からみて,この文句:「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」が,はたしてどのような方向性,すなわち,a)「朝鮮人が震災時に騒擾したから虐殺事件は起きてしまった」と誤解していわれたものなのか,
それとも b)「朝鮮人が虐殺された事実:事件の発生そのもの」を嘆いていわれたものなのか,判然としない。
また,そのどちらであるかを適確に判断する手がかりもとくに与えられてはいない。しかし,皇太子時代に体験した関東大震災につづいて「朝鮮人の虐殺」事件が生起していた事実が,昭和天皇の意識において強く記憶されていた。
関東大震災時に発生した「朝鮮人虐殺事件」などは,当時「日本の国際的対面の問題というより,朝鮮民族解放闘争へのおそれ,事件の国際問題化への警戒が先行してものであった」といわれていた(姜,前掲書,270頁)。皇太子時代の裕仁はすでに,この逆説事件を国際政治的な次元・視点より観察しうる感性をもちあわせていた。
2) 昭和天皇のなかの朝鮮人問題−21世紀への宿題−
昭和天皇の父:大正天皇は,日本帝国が植民地にしたのち,滅亡させることになる「朝鮮」王朝の王子末裔:「李 垠」をたいそう可愛がっていたという。
その息子であった皇太子(昭和天皇)も,大正時代におけるそうした父の行為をしっていたはずである。昭和天皇自身が抱いていた「朝鮮人観」はさておく話とするが,関東大震災時に発生した「朝鮮人虐殺」の真相をよくしりうる立場であったからこそ,「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」と回想したのではないか。これが本ブログ筆者の推理である。
ただし,関東大震災時に惹起された「朝鮮人虐殺行為」はたしかに,昭和天皇の記憶のなかには収められているものの,それ以上に「なにかをいうための材料」にまで生かされていた様子はない。
敗戦後,自国民〔=赤子:臣民〕さえ平然と犠牲にしたうえで,自家族の安心・利害のためだけにうまく立ちまわり,生き延びてきたのが裕仁氏のやりかたであった。
それゆえ,すでに手放した植民地の民衆のことなど〔だが,かつての帝国臣民の4分の1にもなる人数を誇っていた!〕は,すでに蚊帳の外に追放した他国・異民族でしかなかった。
かつて日本帝国が戦争・侵略し,支配・統治した東アジア諸国・諸地域の人びとに向かって,声高にとなえていた「一君万民」「一視同仁」「東洋平和」「五族協和」などの政治理念は,まったくの嘘っぱちであった。
敗戦後も日本国内で生きていかざるをえなくなった朝鮮人たちは,その後もつづいて昭和天皇にとっては「相当,朝鮮人問題の嫌なこともあった」という歴史を,この日本社会に刻みつづけていくことになった。
しかし,在日朝鮮人問題は日本の政治社会問題の恥部として隠蔽されてきたかぎり,旧日本帝国の残滓を清算することもできていなかった。
3) 時代はかわった
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=3683830