南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: シベリア抑留

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/08/17 10:15 投稿番号: [36702 / 41162]
  1945年8月15日、日本軍は無条件降伏し、武装解除に応じた。ソ連共産党・ソ連軍は、8月23日から、『トーキョー・ダモイ(東京に帰れる)』というウソによる“シベリア拉致”を、いっせいに開始した。シベリア拉致決定の正式文書は、戦後48年間見つからなった。それは、降伏8日後の1945年8月23日付で出された『国家防衛委員会の決定、モスクワ・クレムリン』だった。この機密資料は、1993年6月、ソ連崩壊後に、読売新聞社古本記者が、ロシア大統領直属の「クレムリン文書保存館」で発見した。その全文を、高木一郎が『征きて還りし兵の記憶』(岩波書店、1996年、P.10〜17)に載せた。題名は『日本軍捕虜50万人の受け入れ、配置、労働利用について』で、14項目と19細目にわたる詳細な指令である。「国家防衛委員会議長ヨシフ・スターリン」がサインをしている。



  「抑留者」は、兵士・民間人とも夏服・夏靴だった。日本人側は、「抑留者」と言うが、ソ連側は「軍事捕虜」と呼んた。ソ連共産党側は、1945年末から46年初めにかけて、冬のシベリアが、“零下40〜50度の極寒=マローズ”になることを当然ながら熟知している。しかし、『トーキョー・ダモイ』というウソをついての“拉致”であるからには、軍事捕虜にたいし「越冬装備・衣服の携帯」を指令するわけにもいかない。



  現地シベリア当局は、いきなり、約60万人から110万人の収容を指令されても、その施設・冬装備の準備もできていなかった。アルハンゲリスキーが『殺人事件』で、ソ連崩壊後の機密資料から、そのデータを書いている。長くなるが、そのまま引用する。これらの機密資料は、“零下40度のシベリア極寒(マローズ)殺人”の証拠文書である。


「日本共産党入党運動」と講習会のひとこま   上の板壁に「わが民族を破滅

から救う共産党」のスローガンが掲げられている。左側写真は片山潜。後方

左右の壁は、「天皇制打倒、人民政府樹立」「万国の労働者団結せよ」の垂幕

(『アルバム・シベリアの捕虜収容所』朝日新聞社、1990年、P.34、絶版)。



「ソ連共産党」側の体制   日本人捕虜の「共産主義化」と「日本共産党入党運動」

推進のため、ソ連軍政治将校(共産党員)を250人配置。「日本新聞」は、ソ連

共産党員63人配置体制で、650号発行。「ラーゲリ政治部」は、この政治講習

会を、1948年だけでも、7285回開かせ、のべ1287000人を参加させた。
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