南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京大虐殺生き証人夏淑琴裁判結果

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/05/24 00:02 投稿番号: [35505 / 41162]
ジョン・マギー証言(解説書)と、後年の夏淑琴証言との間には、家族の人数などで食い違いがある。
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①『南京安全地帯の記録』における当該事件に関するマギー証言は家族13人中11人の殺害。

②『日支紛争』に収録されたマギーの説明文は2家族14人中12人の殺害。
但し、この中の「7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した」が「銃剣で突き刺した」の間違いであると解釈すれば、2家族13人中11人の殺害。
また、扉を開けたのは家主の「マア」。
生き残りの少女が隠れた場所は古い敷布の下。

③笠原十九司著『南京難民区の百日』に収録された「8歳の少女(夏淑琴)」の証言によれば、1家族15人中13人の殺害。

④本多勝一著『南京への道』によれば、生き残りの少女が隠れた場所は防空壕代わりに中庭に4個並べて置かれた机の下。

⑤夏淑琴来日時の証言によれば扉を開けたのは夏淑琴の父親で、15人中13人殺害。
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以上が、東中野修道教授が検証して『「南京大虐殺」の徹底検証』で「摘示した事実」だ。

本多勝一著『南京への道』は論外として、『南京難民区の百日』及び夏淑琴来日時の証言と、マギー証言では、夏淑琴の家族の人数が異なっている。

殺された家族の人数を間違えるなんてあり得ないから、普通に考えれば「夏淑琴」と「マギー証言の少女」は別人物、というのが東中野教授の主張だ。


これが名誉毀損になるというなら、学問の自由も言論の自由もあったもんじゃない。



そもそも、米国人牧師ジョン・マギーが撮影したというフィルムの「解説書」を読めば、犯人は支那人であることが誰の目にも明らかだ。
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マギー牧師の解説書

(本文省略)
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●検証

①賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。
夏氏が犯人に懇願し、馬夫人が犯人に質問した。
犯人達と被害者達は会話をしていたのだから、犯人達は支那人。

②婦人が強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれ、赤ん坊は銃剣で刺殺され、他の少女も刺殺され、膣に杖が押し込まれた…犯行手口から犯人は支那人。

③戸を開けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願したなんて有り得ない。

④8歳の子供が犯行日時は12月13日9〜10時と認識し、更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。

⑤事件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。

⑥傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。

⑦12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。

⑧仮に12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。

⑨安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。


⑩駄目押し決定打!
日本軍にはアリバイがあった。
当時8歳の夏淑琴は犯行日時を12月13日9〜10時と証言したが、12月13日9〜10時に日本軍はまだ犯行現場に行き着いていなかった。




【結論】
犯人は支那軍か支那人盗賊であり、犯行は日本軍が入城した12月13日よりも前に行なわれていた。
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