裁判の名で復讐殺人
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/05/18 19:08 投稿番号: [35312 / 41162]
ナポレオン時代よりも前に欧州ではすでに戦勝者が敗戦者に復讐することはなくなった。ナポレオンは殺されずにセント・ヘレナ島に流され、その島で死んだ。一次大戦では勝者による復讐殺人はなかった。勝者の主役がアメリカ人でなかったからだ。
二次大戦では勝者の主役がアメリカ、支那、ロシアだったから、敗者に対する復讐殺人は近数世紀未曾有の規模で行はれ、しかも戦犯裁判という厚顔無恥の欺瞞名称を被せて行われた。
2人の少尉は支那人の本性について認識がなかったから、はじめのうちは弁論もおこなった。もう一人300人斬ったとされる大尉は、終始沈黙を守ったそうだ。その時の裁判長役だった人は台湾に来て老死した
もう一人南京進軍に参加した少将は指揮官の中島中将が終戦前に死亡したので身代わりに「裁判」に回されて死刑という名で殺害された。その時の裁判長は少将が提出したアリバイを踏み倒したので英雄視されて、台湾へ来て軍事裁判所の所長となったが、権力を乱用して不正裁判を数多くおこなったので、終に蒋介石の怒りに触れ、軍事裁判に掛けられて、死刑の宣告を受け、裁判所から直ちに死刑執行場へ引き立てられて執行された。その死刑執行場というのが、彼が新たに建てさせた執行場で、彼が第1号の被執行死刑囚だったので、当時非常に話題になった。
これは メッセージ 35310 (nanja3231 さん)への返信です.
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