Re: 昭和天皇の二枚舌ですか?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/04/11 22:17 投稿番号: [34900 / 41162]
>盧溝橋交渉後の派兵、上海第二次事件の侵略派兵、、、
>真珠湾攻撃、、、
盧溝橋交渉後の派兵??
7月7日、盧溝橋事件。夜10時30分頃、演習中の日本軍が2度にわたって銃撃を受ける
7月8日、午前3時25分に支那側から3度目の射撃、4時20分に牟田口連隊長が反撃を命令、5時30分の4度目の銃撃をきっかけに反撃開始
7月9日、午前4時に現地で停戦の約束がされるまで日本側戦死11人・負傷36人、支那側(推定)戦死30人・負傷約100人。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣
7月10日、支那側が攻撃を再開、日本側も応戦、日本側に戦死6人、負傷10人。参謀本部第三課と陸軍軍事課は、支那側が「対日武力戦争を準備」しており、北京地区1万2千人の居留民保護に不安があり、支那第29軍7万5千人に対抗するため10万人規模の「北支出兵」を主張。石原部長も承認して陸軍の決定となる
7月11日、現地で停戦協定が成立。支那の何応欽部長が、7月末までに戦争準備を整える全兵力動員の「戦争計画」を指示。14時、日本の閣議で5個師団の「北支派兵」が決定し声明
上海第二次事件の侵略派兵??
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
海軍は、陸戦隊を1,200名程増派したが、追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に国際租界の日本人居留区は支那の保安隊に包囲されていた。
8月11日の夜のうちに支那軍は上海付近の鉄道の民間使用を禁じて軍用に切り換えて国際租界に向けて12万の大軍を送り込んだ。
8月12日、蒋介石軍が上海の国際租界の日本人居留地区を包囲。上海に送り込まれた支那の大軍は、日本人居留区を包囲していた保安隊に取って代わった。
当時、上海にいた日本軍は海軍陸戦隊4,000名のみで、とても支那の大軍を相手に出来なかったため、海軍は改めて陸軍の派遣を要請した。
8月13日、蒋介石軍が攻撃開始。
日本政府はやっと陸軍の派遣を決めたが、これから準備するために到着するのに約20日は掛かる。
したがって、海軍陸戦隊には、「絶対に先に手を出すな」と指令したが、この日に支那軍は上海への攻撃を開始した。
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。この爆撃を日本軍の仕業と世界中に宣伝
真珠湾攻撃??
ドール:ルーズベルト大統領はチャーチル首相に「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」と語っているのです。
ルーズベルト大統領は言いました。
「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とね。
『操られたルーズベルト』カーチス・B・ドール著
(1941年に米国が対日石油輸出を全面禁止する以前の)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。
P355
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
>お前らが泥棒的に、平和だの和平だのと、模索しているだけで、正式な発表もなければ、公に認められるはずもない。馬鹿門。
和平交渉は公式なものでも普通はいちいち発表なんかすることはない。
>釣魚島諸島のことも、そうであるよ。
尖閣諸島?
日本の領土である証拠なら山ほどあるが、何か?
>計画だけで終わりに、できればでなくて、必ず、平和だの、和平だのへの実行動でなければ、ならなかった。
そこまで言うなら、米国や支那はどれくらい和平を実現させようとしたのかな?
>提示した条件を無条件に受け入れろとのことだ。
意図的に曖昧な条件をつけ、日本が検討している最中に、米国は原爆を投下し、ソ連は日ソ不可侵条約を破って侵略を始めた。
>単に、お前らの奴隷にとっていえることだ。別にお前ら愚民にとって正しいことである。馬鹿門。
意味不明。
大日本帝国憲法第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」は、天皇の政治的無責任(無答責)を意味する。
>旧日本大帝国憲法からみて、誰が主犯格で、輔弼する従犯格の話だけであって、平和に対した犯罪、人道に対した犯罪、国家犯罪を行った以上、連帯責任を問われる。
平和に対した犯罪、人道に対した犯罪は、支那や米国やソ連がやったこと。
大日本帝国憲法第五十五条「国務大臣は天皇を補弼する」、「天皇の詔勅には国務大臣の副書が必要」は、天皇に政治の決定権がなかったことを意味する。
>真珠湾攻撃、、、
盧溝橋交渉後の派兵??
7月7日、盧溝橋事件。夜10時30分頃、演習中の日本軍が2度にわたって銃撃を受ける
7月8日、午前3時25分に支那側から3度目の射撃、4時20分に牟田口連隊長が反撃を命令、5時30分の4度目の銃撃をきっかけに反撃開始
7月9日、午前4時に現地で停戦の約束がされるまで日本側戦死11人・負傷36人、支那側(推定)戦死30人・負傷約100人。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣
7月10日、支那側が攻撃を再開、日本側も応戦、日本側に戦死6人、負傷10人。参謀本部第三課と陸軍軍事課は、支那側が「対日武力戦争を準備」しており、北京地区1万2千人の居留民保護に不安があり、支那第29軍7万5千人に対抗するため10万人規模の「北支出兵」を主張。石原部長も承認して陸軍の決定となる
7月11日、現地で停戦協定が成立。支那の何応欽部長が、7月末までに戦争準備を整える全兵力動員の「戦争計画」を指示。14時、日本の閣議で5個師団の「北支派兵」が決定し声明
上海第二次事件の侵略派兵??
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
海軍は、陸戦隊を1,200名程増派したが、追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に国際租界の日本人居留区は支那の保安隊に包囲されていた。
8月11日の夜のうちに支那軍は上海付近の鉄道の民間使用を禁じて軍用に切り換えて国際租界に向けて12万の大軍を送り込んだ。
8月12日、蒋介石軍が上海の国際租界の日本人居留地区を包囲。上海に送り込まれた支那の大軍は、日本人居留区を包囲していた保安隊に取って代わった。
当時、上海にいた日本軍は海軍陸戦隊4,000名のみで、とても支那の大軍を相手に出来なかったため、海軍は改めて陸軍の派遣を要請した。
8月13日、蒋介石軍が攻撃開始。
日本政府はやっと陸軍の派遣を決めたが、これから準備するために到着するのに約20日は掛かる。
したがって、海軍陸戦隊には、「絶対に先に手を出すな」と指令したが、この日に支那軍は上海への攻撃を開始した。
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。この爆撃を日本軍の仕業と世界中に宣伝
真珠湾攻撃??
ドール:ルーズベルト大統領はチャーチル首相に「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」と語っているのです。
ルーズベルト大統領は言いました。
「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とね。
『操られたルーズベルト』カーチス・B・ドール著
(1941年に米国が対日石油輸出を全面禁止する以前の)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。
P355
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
>お前らが泥棒的に、平和だの和平だのと、模索しているだけで、正式な発表もなければ、公に認められるはずもない。馬鹿門。
和平交渉は公式なものでも普通はいちいち発表なんかすることはない。
>釣魚島諸島のことも、そうであるよ。
尖閣諸島?
日本の領土である証拠なら山ほどあるが、何か?
>計画だけで終わりに、できればでなくて、必ず、平和だの、和平だのへの実行動でなければ、ならなかった。
そこまで言うなら、米国や支那はどれくらい和平を実現させようとしたのかな?
>提示した条件を無条件に受け入れろとのことだ。
意図的に曖昧な条件をつけ、日本が検討している最中に、米国は原爆を投下し、ソ連は日ソ不可侵条約を破って侵略を始めた。
>単に、お前らの奴隷にとっていえることだ。別にお前ら愚民にとって正しいことである。馬鹿門。
意味不明。
大日本帝国憲法第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」は、天皇の政治的無責任(無答責)を意味する。
>旧日本大帝国憲法からみて、誰が主犯格で、輔弼する従犯格の話だけであって、平和に対した犯罪、人道に対した犯罪、国家犯罪を行った以上、連帯責任を問われる。
平和に対した犯罪、人道に対した犯罪は、支那や米国やソ連がやったこと。
大日本帝国憲法第五十五条「国務大臣は天皇を補弼する」、「天皇の詔勅には国務大臣の副書が必要」は、天皇に政治の決定権がなかったことを意味する。
これは メッセージ 34894 (jpjptmd2004 さん)への返信です.