Re: 昭和天皇の二枚舌ですか?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/04/04 19:57 投稿番号: [34891 / 41162]
>>1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。
>平和といい、平和にならない提案が無視される、当たり前、あほ。
>平和にならない平和への模索をいくらしても、無視されるだけだ、あほ。
まず、日本語において「和平」と「平和」は微妙に異なるから、それを勉強してくれ。
それと、俺は根拠を示しているのに、オマエは全く根拠を示さず、オマエの勝手な思い込みを言い張っているだけだ。
日本は、アメリカのアリバイ作りのポツダム宣言や原爆投下より、ずっと以前から戦争をやめようとして和平を模索していたことは事実だ。
違うというなら、きちんと証拠なり資料を示して反論しろ。
――――――――――
1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。交渉は中国を仲介者とし、1931年以前の国境線を基礎にするものだった。そして、同年5月までに駐ソ日本大使は「結果が如何なるものであれ、『戦前の条件より後退したものであっても』」、それを前提に可能な和平提案を協議するよう訓令を受けている。これほど早い時期に日本政府内部で降伏を唱える人々が影響力を持ち始めていたことを、米戦略爆撃調査報告は確認しているのだ。同報告は「天皇、枢密院議長、首相、外相、海相は1945年5月に、連合国の条件による敗戦を受け入れることになっても、戦争は終結させなければならないとの結論に達していた」
いまや政府内部の指導権を握った和平派は、こうした大きな支持を得て、この月のうちに具体的行動を起こした。既に見たように、モスクワ駐在日本大使は交渉打診の訓令を受けていた。そして近衛公を交渉のためモスクワに送ることも計画された。できれば無条件降伏より緩い条件を期待してはいたが、いづれにしても和平のための交渉だった。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
――――――――――
>日本は被爆しなかったら、ポツダム宣言の検討だけで終わって、投降もしなかった。
>日本は日々℃スケベの言動もし、長く国際社会から不信を買っていた。
俺は根拠を示しているのに、オマエは全く根拠を示さず、オマエの勝手な思い込みを言い張っているだけだ。
日本は、アメリカのアリバイ作りのポツダム宣言や原爆投下より、ずっと以前から戦争をやめようとして和平を模索していたことは事実だ。
違うというなら、きちんと証拠なり資料を示して反論しろ。
>無条件に、ポツダム宣言を受け入れなければ、原爆どころか、更なる壊滅的な打撃を受けなければいけなかった。あほ
ポツダム宣言自体に条件が付されていることも知らないのか?
それと、支那は、支那事変で日本にコテンパンに負けていた時には、日本が支那に有利な条件で何度も和平を提案したが、悉く日本の和平案を蹴って戦争を継続した。
停戦や和平には条件は付き物だし、有利な条件でさえ和平を実現させなかった支那(蒋介石)は極悪人だな。
>日本天皇が、憲法に規定した責務を履行する。
>国家を統治し、陸海軍の最高統帥、対外の国際条約への批准、戦争布告、臣民との係わりからみれば、何から何まで責任をもつ。
責任はない。
大日本帝国憲法の第三条に、「天皇は神聖にして侵すべからず」という規定があり、これは天皇の政治的無責任(無答責)を意味している。
そして第五十五条に、「国務大臣は天皇を補弼する」、「天皇の詔勅には国務大臣の副書が必要」と定められている。「補弼」というのは、要するに「天皇といえども自分勝手に国を動かすことは出来ない。天皇が統治を行う際は、必ず国務大臣の助言や支援を得なければならない」ということだ。
>平和といい、平和にならない提案が無視される、当たり前、あほ。
>平和にならない平和への模索をいくらしても、無視されるだけだ、あほ。
まず、日本語において「和平」と「平和」は微妙に異なるから、それを勉強してくれ。
それと、俺は根拠を示しているのに、オマエは全く根拠を示さず、オマエの勝手な思い込みを言い張っているだけだ。
日本は、アメリカのアリバイ作りのポツダム宣言や原爆投下より、ずっと以前から戦争をやめようとして和平を模索していたことは事実だ。
違うというなら、きちんと証拠なり資料を示して反論しろ。
――――――――――
1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。交渉は中国を仲介者とし、1931年以前の国境線を基礎にするものだった。そして、同年5月までに駐ソ日本大使は「結果が如何なるものであれ、『戦前の条件より後退したものであっても』」、それを前提に可能な和平提案を協議するよう訓令を受けている。これほど早い時期に日本政府内部で降伏を唱える人々が影響力を持ち始めていたことを、米戦略爆撃調査報告は確認しているのだ。同報告は「天皇、枢密院議長、首相、外相、海相は1945年5月に、連合国の条件による敗戦を受け入れることになっても、戦争は終結させなければならないとの結論に達していた」
いまや政府内部の指導権を握った和平派は、こうした大きな支持を得て、この月のうちに具体的行動を起こした。既に見たように、モスクワ駐在日本大使は交渉打診の訓令を受けていた。そして近衛公を交渉のためモスクワに送ることも計画された。できれば無条件降伏より緩い条件を期待してはいたが、いづれにしても和平のための交渉だった。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
――――――――――
>日本は被爆しなかったら、ポツダム宣言の検討だけで終わって、投降もしなかった。
>日本は日々℃スケベの言動もし、長く国際社会から不信を買っていた。
俺は根拠を示しているのに、オマエは全く根拠を示さず、オマエの勝手な思い込みを言い張っているだけだ。
日本は、アメリカのアリバイ作りのポツダム宣言や原爆投下より、ずっと以前から戦争をやめようとして和平を模索していたことは事実だ。
違うというなら、きちんと証拠なり資料を示して反論しろ。
>無条件に、ポツダム宣言を受け入れなければ、原爆どころか、更なる壊滅的な打撃を受けなければいけなかった。あほ
ポツダム宣言自体に条件が付されていることも知らないのか?
それと、支那は、支那事変で日本にコテンパンに負けていた時には、日本が支那に有利な条件で何度も和平を提案したが、悉く日本の和平案を蹴って戦争を継続した。
停戦や和平には条件は付き物だし、有利な条件でさえ和平を実現させなかった支那(蒋介石)は極悪人だな。
>日本天皇が、憲法に規定した責務を履行する。
>国家を統治し、陸海軍の最高統帥、対外の国際条約への批准、戦争布告、臣民との係わりからみれば、何から何まで責任をもつ。
責任はない。
大日本帝国憲法の第三条に、「天皇は神聖にして侵すべからず」という規定があり、これは天皇の政治的無責任(無答責)を意味している。
そして第五十五条に、「国務大臣は天皇を補弼する」、「天皇の詔勅には国務大臣の副書が必要」と定められている。「補弼」というのは、要するに「天皇といえども自分勝手に国を動かすことは出来ない。天皇が統治を行う際は、必ず国務大臣の助言や支援を得なければならない」ということだ。
これは メッセージ 34858 (jpjptmd2004 さん)への返信です.