Re: 死体の処理方法 - 証言
投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/09/04 01:02 投稿番号: [33827 / 41162]
只のコピペ馬鹿を続けてる様だが。
実際に機銃で殺害した人の証言では、銃殺された捕虜が川に落ちたのではないといってるぞ。
揚子江の支流だったはずだし、処刑上に選んだのは河原だとのことだ。
少数の日本兵が小銃を3名程が機銃を持って、自分達より多い数の捕虜を河原まで連行していたのだとさ。
そういう状況で、銃殺されると思った者数名が日本兵を振り切って川へ逃げ込んで上流へ走り始めると、そのあとを追って川へ逃げ込んで上流へ次々と走り始めたのだそうだ。
それを鎮圧するために、機銃を持った一人が最初に逃げ出した者を上流へ追居ながら機銃で走者して殺害し、生死を聞かず後を追うものにも残りのに砲兵達が発砲して多くを撃ち殺したということだ。
そのあとで、河原に残った捕虜を座らせて、小銃で順次銃殺したという話だ。
数的には、十数名の日本兵で百名前後の捕虜をということ。
一度に数千名などという話は、無理とのこと。
連行できないってさ。
自分の部隊も、となりの部隊もみんなやっていた。兵隊はみんなやっていた。>
多くの部隊が居ても捕虜の取り扱いを部隊事にしたわけではないわな。
一応の取り調べと、現地司令官の下での軍律審判はしている。
相応の規模の施設を使って一か所に収容してたわけだ。
その収容施設から、持ち回りで審判を経て処刑と審判された捕虜を抽出して河原へ連れ出して銃殺していたらしいぞ。
それに割く人員は常に十数名程度で、処刑される捕虜は一度で凡そ百名前後だったそうだ。
その証言者に持ちまわりが何度も回ってくることはなかったそうだ。
これは メッセージ 33814 (fukagawatohei さん)への返信です.
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