南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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「抗日義兵闘争」と金日成

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/09/20 13:47 投稿番号: [3101 / 41162]
1907年7月24日の「第三次日韓協約」締結。
同年8月1日、「大韓帝国軍」解散。この時、解散式に1812名の軍人が参加したが、約1300名余りの軍人は、「大韓帝国軍」解散をよしとせず脱営。その内の約500名が「義兵将」と称し、地方の農民などの不平分子を扇動して、「抗日義兵闘争」を始めた。

●「抗日義兵闘争」(検挙者延べ数)
1907年(4万4116名)
1908年(6万9832名)
1909年(2万5763名)
1910年(1892名)

1910年8月22日の「日韓併合条約」締結時には、「抗日義兵闘争」はほぼ終息していた。

「抗日義兵闘争」の「義兵将」の中でもリーダー格だったのは、洪範圖、車道善、金佐鎮らでそれぞれの部隊を指揮していたが、それとは別に白頭山を根城にした少人数の独立部隊があり、この部隊は他の「抗日組織」とはほとんど連携せず、独自の神出鬼没のヒット・エンド・ラン戦法で、少部隊としては目立つほどの戦果を挙げていた。この部隊を指揮していたのが金日成であり、白頭山近辺の迷信深い農民の間で半ば伝説化され、後漢時代の費長房が用いたとされる「縮地法」の使い手であるなどと実しやかに噂されていたのである。
しかし「日韓併合条約」締結前後に、金日成も満州に逃れ、1920年代に満州の地で没した。

*金日成(1880/90〜1922/26)
本名金昌希(金一成とも称す)、咸鏡南道端川郡出身の民族主義者。「抗日義兵闘争」が起こった当初は、元「東学党」の不満分子を集め、端川郡黄谷里の五峯山に立て籠もっていたが、治安部隊に追われて剣徳山に移動し、さらに天然の要害の白頭山に本拠を移した。しかし時代の変遷には抗せず、ついには満州への逃避行を余儀なくされ、最後はその地で凍死したと伝えられている。

(注)
金正日の父親の金日成(1912〜1994)は本名金聖柱。金聖柱は、金成柱、金英煥、金東煥など数多くの偽名を名乗ったことで知られており、金日成はそうした偽名の一つに過ぎない。
いずれにしても、「抗日義兵闘争」の最盛時(1907年〜1910年)には、金正日の父親はまだ生まれてもいなかったので、その頃白頭山を根城に活動していた独立部隊の頭目金日成とは全くの別人であることは明らか。
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