Re: 731部隊の細菌爆弾
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/01/06 16:47 投稿番号: [30537 / 41162]
第二次世界大戦におけるエッジウッド
1930年代後半に、次の戦争への懸念が生じると、化学戦局はエッジウッドでのマスタードの製造を再開し、少量の備蓄を行った。第二次世界大戦への懸念が高まっていくにしたがい、ホスゲンと塩素の製造工場の補修が行われ、新たにアダムサイト、青酸、防護服用の繊維であるCC2の製造工場が建設された。
戦時に備えた製造が活発になると、製造物の貯蔵場所が必要になり、エッジウッドの東部地区にレンガ造りの弾薬庫や耐火壁(Transite)で囲んだ貯蔵庫が建設された。この貯蔵庫は、東海岸地区で唯一の化学兵器貯蔵設備となった。さらに製造設備のある西部地区にも貯蔵施設が建設された。1942年には、新たな化学研究所も建設された。
第二次世界大戦が始まると、エッジウッドは化学兵器関連のすべての活動を行うためにはスペースが不足してきた。1942年には、エッジウッド兵器工場は名称を化学戦センター(Chemical Warare Center)と名称変更された。エッジウッドの南部地区の第6野戦砲兵隊が戦場に派遣されるためにフォート・ホイルを出たことから、この南部地区に新たな化学兵器製造工場が建設さた。第一次世界大戦時は化学兵器の製造は軍人だけが行ったが、第二次世界大戦中の化学兵器の製造は、半数以上が民間の女性によって行われたのが大きな違いである。
戦時の生産活動が活発になると、エッジウッドだけでは化学兵器関連の活動をすべてカヴァーできなくなり、エッジウッド以外に化学兵器製造工場が建設されるようになった。化学兵器貯蔵庫も別の場所に増設されたことから、エッジウッドの機能は化学兵器に関するすべての活動を行う中央施設の立場から、次第に開発研究、試験製造、実験などの機能に移行して行った。
これは メッセージ 30534 (fukagawatohei さん)への返信です.
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