「英霊」の大多数は餓死であるという事実
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/28 21:55 投稿番号: [30419 / 41162]
南京での捕虜虐殺の原因の一つに、日本軍の補給体制の不備があった。
自軍の給養でさえ確保できないにもかかわらず、降伏してきた敵兵を
収容することは 不可能であり、捕虜の大量「処分」となったのだ。
補給確保の軽視・不備は、日本軍の 致命的な欠点だった。
太平洋の孤島や南方の密林とは違って 多くの人々が住む中国大陸では、
餓死者はなかったと思われやすいのだが、じつは敗戦前2年間に限れば
中国戦場では、病死者が 戦死者を 上回っていたのだ。
このことは、歴史学者の故藤原彰氏が 著書『餓死した英霊たち』で、
1994年刊行の長尾五一軍医中佐の遺著『戦争と栄養』等を基にして
裏付けている。
中国戦線で最後の作戦となった 第20軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の3カ月間の死者は 戦死695人に対して
戦傷死322人、戦病死2184人、合計3201人にのぼり、
「第20軍の統帥発動以来終戦までの各種比率は…戦死、戦傷、戦病死
おおむね4対5対91」(第20軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表)
とされている。
藤原氏は、こうした資料から、戦傷死が意外に多いことに注目し、
「負傷した後に包帯所や、野戦病院で死亡する者が多かったことは、
患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。」
「これも広く餓死の分類に入る。圧倒的に多い戦病死の詳細な内訳は
不明である。しかし病気の大部分が長期間の不十分な給養で、栄養失調
状態にあって病気にたいする抵抗力を失っていたため、戦病死に至った」
と書き、中国戦線での45万の戦没者の過半数が 戦病死、
それも給養不足に基づく栄養失調や、それが原因での体力の消耗による
広い意昧での餓死であったと結論している。
日本軍が、補給らしい補給もなしに 現地調達する方針は、
明治以来、一貫していた。
日清戦争が開始された当時、朝鮮出兵軍からの補給困難の訴えに対して
参謀本部は 次のように訓令していた。
古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。
(中略)
糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、いわんやこれを運搬する
人夫においてをや」
(参謀総長・熾仁親王から混成旅団長・大島義昌あての訓令)
「因糧於敵」、これこそが 侵略軍として日本軍の行為の根本にあった。
ドラマ「坂の上の雲」にも描かれていた 他国領での 軍による徴発や
徴用、それは 要するに 現地民からの掠奪行為に ほかならなかった。
南京事件の時代は、日清戦争の時よりも はるかに大規模な武力侵攻が
広大な大陸の各地に拡散して進められた。
大量の餓死者を生み出すような無謀な戦争に、勝算などはなかったのだ。
自軍の給養でさえ確保できないにもかかわらず、降伏してきた敵兵を
収容することは 不可能であり、捕虜の大量「処分」となったのだ。
補給確保の軽視・不備は、日本軍の 致命的な欠点だった。
太平洋の孤島や南方の密林とは違って 多くの人々が住む中国大陸では、
餓死者はなかったと思われやすいのだが、じつは敗戦前2年間に限れば
中国戦場では、病死者が 戦死者を 上回っていたのだ。
このことは、歴史学者の故藤原彰氏が 著書『餓死した英霊たち』で、
1994年刊行の長尾五一軍医中佐の遺著『戦争と栄養』等を基にして
裏付けている。
中国戦線で最後の作戦となった 第20軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の3カ月間の死者は 戦死695人に対して
戦傷死322人、戦病死2184人、合計3201人にのぼり、
「第20軍の統帥発動以来終戦までの各種比率は…戦死、戦傷、戦病死
おおむね4対5対91」(第20軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表)
とされている。
藤原氏は、こうした資料から、戦傷死が意外に多いことに注目し、
「負傷した後に包帯所や、野戦病院で死亡する者が多かったことは、
患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。」
「これも広く餓死の分類に入る。圧倒的に多い戦病死の詳細な内訳は
不明である。しかし病気の大部分が長期間の不十分な給養で、栄養失調
状態にあって病気にたいする抵抗力を失っていたため、戦病死に至った」
と書き、中国戦線での45万の戦没者の過半数が 戦病死、
それも給養不足に基づく栄養失調や、それが原因での体力の消耗による
広い意昧での餓死であったと結論している。
日本軍が、補給らしい補給もなしに 現地調達する方針は、
明治以来、一貫していた。
日清戦争が開始された当時、朝鮮出兵軍からの補給困難の訴えに対して
参謀本部は 次のように訓令していた。
古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。
(中略)
糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、いわんやこれを運搬する
人夫においてをや」
(参謀総長・熾仁親王から混成旅団長・大島義昌あての訓令)
「因糧於敵」、これこそが 侵略軍として日本軍の行為の根本にあった。
ドラマ「坂の上の雲」にも描かれていた 他国領での 軍による徴発や
徴用、それは 要するに 現地民からの掠奪行為に ほかならなかった。
南京事件の時代は、日清戦争の時よりも はるかに大規模な武力侵攻が
広大な大陸の各地に拡散して進められた。
大量の餓死者を生み出すような無謀な戦争に、勝算などはなかったのだ。
これは メッセージ 30418 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.