Re: 英連邦
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/28 12:20 投稿番号: [29976 / 41162]
嘘吐き君は、世界史も習ったことがないようだね、国籍詐称でもしているのかい、嘘吐き君。
アジア進出
イギリスは1600年に東インド会社を設立してアジアに進出し、ジャワ島東部のバンテンに拠点を置いて香辛料貿易への食い込みを図った。またマレー半島のパタニ王国やタイのアユタヤ、日本の平戸にも商館を置いて交易を行ったが、いずれもオランダ東インド会社との競合に敗れて敗退した。
このためイギリス東インド会社はインドに注力し、1612年にスラトに商館を設置したのを初め1639年チェンナイ(マドラス)、1668年ムンバイ(ボンベイ)、コルカタ(カルカッタ)にも商館を設置した。インド貿易は成功を収め、これらの商館は次第に要塞化して周辺のインド諸侯を影響下におくようになった。この頃フランスもインド東海岸のポンディシェリを拠点にインドに支配を拡大させており、英仏はインドで対立を深める。欧州で七年戦争(1756年−1763年)が起こるとインドでも英仏間の戦争が始まり、ロバート・クライブはプラッシーの戦いでフランス側のベンガル太守軍を破り、ベンガルの領域支配に乗り出した。七年戦争の結果、フランスはポンディシェリなどに非武装の商館を置くことは認められたが、政治的にはインドから敗退した。イギリスはさらにインド諸侯に対する支配を拡大し、ムガル皇帝まで傀儡化するようになった。1857年に起こったインド大反乱を契機に名目的な存在になっていたムガル帝国を1858年廃し、ヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国を成立させた。
19世紀初頭のナポレオン戦争はイギリスの覇権を樹立する契機となった。オランダが革命フランスの勢力下に置かれたため、イギリスは南アフリカのケープ植民地やセイロン、東インド(インドネシア)などオランダ植民地を続々に占領した。イギリス船はオランダ商館が置かれた長崎にまで来航し、フェートン号事件を起こしている。ウィーン条約によって東インドはオランダに返還されたが、セイロンやケープ植民地は返還されず、イギリスは1815年セイロン内陸部のカンディー王国を征服してセイロン植民地を成立させた。オランダの影響力が弱体化した東南アジアにも再び進出、1819年にシンガポール港を創設し、1826年にはペナン、マラッカを含む海峡植民地を成立させた。イギリスはさらにマレー半島のスルタン諸国を保護領化して19世紀末には英領マラヤを成立させた。また三次に及ぶ英緬戦争によってコンバウン王朝を破り、1886年にはビルマをインド帝国に併合した。
イギリスは中国の広東開港によって1711年には広州に商館を設立し、中国茶を輸入する広東貿易に従事しているが、本国での紅茶ブームにより貿易赤字が急増したためインドのアヘンを中国に売り込み清朝とアヘン戦争(1839年−1860年)を引き起こした。かつての大清帝国もイギリスの軍事力には勝てず、南京条約によって香港島を割譲したほか、上海・アモイなどの沿海5港を開港させられた。さらにアロー戦争(1856年〜1860年)でイギリスは九龍半島に支配を拡大させ、さらに多くの中国諸港を開港させた。
アジア進出
イギリスは1600年に東インド会社を設立してアジアに進出し、ジャワ島東部のバンテンに拠点を置いて香辛料貿易への食い込みを図った。またマレー半島のパタニ王国やタイのアユタヤ、日本の平戸にも商館を置いて交易を行ったが、いずれもオランダ東インド会社との競合に敗れて敗退した。
このためイギリス東インド会社はインドに注力し、1612年にスラトに商館を設置したのを初め1639年チェンナイ(マドラス)、1668年ムンバイ(ボンベイ)、コルカタ(カルカッタ)にも商館を設置した。インド貿易は成功を収め、これらの商館は次第に要塞化して周辺のインド諸侯を影響下におくようになった。この頃フランスもインド東海岸のポンディシェリを拠点にインドに支配を拡大させており、英仏はインドで対立を深める。欧州で七年戦争(1756年−1763年)が起こるとインドでも英仏間の戦争が始まり、ロバート・クライブはプラッシーの戦いでフランス側のベンガル太守軍を破り、ベンガルの領域支配に乗り出した。七年戦争の結果、フランスはポンディシェリなどに非武装の商館を置くことは認められたが、政治的にはインドから敗退した。イギリスはさらにインド諸侯に対する支配を拡大し、ムガル皇帝まで傀儡化するようになった。1857年に起こったインド大反乱を契機に名目的な存在になっていたムガル帝国を1858年廃し、ヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国を成立させた。
19世紀初頭のナポレオン戦争はイギリスの覇権を樹立する契機となった。オランダが革命フランスの勢力下に置かれたため、イギリスは南アフリカのケープ植民地やセイロン、東インド(インドネシア)などオランダ植民地を続々に占領した。イギリス船はオランダ商館が置かれた長崎にまで来航し、フェートン号事件を起こしている。ウィーン条約によって東インドはオランダに返還されたが、セイロンやケープ植民地は返還されず、イギリスは1815年セイロン内陸部のカンディー王国を征服してセイロン植民地を成立させた。オランダの影響力が弱体化した東南アジアにも再び進出、1819年にシンガポール港を創設し、1826年にはペナン、マラッカを含む海峡植民地を成立させた。イギリスはさらにマレー半島のスルタン諸国を保護領化して19世紀末には英領マラヤを成立させた。また三次に及ぶ英緬戦争によってコンバウン王朝を破り、1886年にはビルマをインド帝国に併合した。
イギリスは中国の広東開港によって1711年には広州に商館を設立し、中国茶を輸入する広東貿易に従事しているが、本国での紅茶ブームにより貿易赤字が急増したためインドのアヘンを中国に売り込み清朝とアヘン戦争(1839年−1860年)を引き起こした。かつての大清帝国もイギリスの軍事力には勝てず、南京条約によって香港島を割譲したほか、上海・アモイなどの沿海5港を開港させられた。さらにアロー戦争(1856年〜1860年)でイギリスは九龍半島に支配を拡大させ、さらに多くの中国諸港を開港させた。
これは メッセージ 29974 (fukagawatohei さん)への返信です.