731部隊の真実
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/15 14:59 投稿番号: [29615 / 41162]
日本軍は1937年7月7日に北京郊外の蘆溝橋で中国軍と交戦し(蘆溝橋事件)、中国への全面的な戦争を始めた。
中国戦線で石井は、汚水を清澄な水にする「石井式濾水機」の性能をデモンストレーションして陸軍に正式採用してもらい、防疫だけでなく給水の仕事も行う「防疫給水部」を、北京(北支那派遣軍防疫給水部、1938年発足、後の第一八五五部隊)南京(中支那派遣軍防疫給水部、1939年発足、後の第一六四四部隊、別名「栄部隊」「多摩部隊」)広東(南支那派遣軍防疫給水部、1939年発足、後の第八六〇四部隊)シンガポール(南方軍防疫給水部、1942年発足、後の第九四二〇部隊)にも発足させた。
一方、関東軍防疫部は、ハルビン市街の南東約15kmの平房に、背陰河の施設よりも堅固で本格的な設備を備えた施設を建設し、1938年から39年にかけて移転した。
1940年には「関東軍防疫給水部」と改称し、牡丹江・林口・孫呉・ハイラルに支部を持つようになる。
平房の本部は1941年に「満州第七三一部隊」と改称されました(支部も合わせた関東軍防疫給水部全体は第六五九部隊)。
七三一部隊は4つの支部以外に、大連にあった南満州鉄道の研究所も傘下に収めて支部とし、さらに平房の約260km北の安達には細菌兵器の実験場を持っていた。
また関東軍は防疫給水部とは別に、新京(現在の長春)に「軍獣防疫廠」(1936年設立。1941年に「満州第一〇〇部隊」と改称)を持っていた。
ここは軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当しており、人体実験も行っていた。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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