Re: 祖国への訴え - 被告民
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/14 23:01 投稿番号: [29588 / 41162]
青少年の英霊を欺くことなく、沖縄戦の実情に即し、事実に基いて、鉄血勤皇隊、通信隊戦傷病死者全員を軍人として取り扱われんことを懇願いたします。
これは、私ども親と、それから生き残りのあの当時の先生と、また生き残りの学友が相集まって、事実はこうであったということを作り上げたものであります。私、親といたしまして、なぜ軍人にお願いしたいかと申しますと、沖縄の特殊事情と申しますが、私たちは不幸にして生きておるという考えまで起るくらいであります。自分の国土を全員をあげて守り切れなかった、私ども実に気のひけるような責任感に打たれております。決して軍人がどうのこうのというようなこともあり荻せん。皆さんが沖縄においでになりまして、あの牛島閣下、長参謀閣下の霊に毎日草花が絶えない、香華が絶えないことをごらんになってもわかると思います。法はいろいろあるだろうと思いますけれども、議員様方がほんとうに親の訴えをお聞き取り下さいまして――わずか五百数名でございます。さらに、援護金受け取りにしましても、沖縄の実情は、この年金を受け取るような者は何者かということになりましたときに、これも半数くらいであります。実際に適用される沖縄の遺族は十五万だの何だのとありますけれども、この法によっていろいろと年金な・り恩給なりにありつく者は、一家が全滅したりして、恩給法、援護法によるものがたくさんあるわけではございません。だから、あの女子学徒あるいは十七才以上の子供たちが軍属あるいは軍人にしていただいたことに対しても、ほんとうに私たちは手を合せて感謝しておるようなわけであります。なお、御無理とは思いますが、この十五才木満の者のあの事実、私もあの戦で一緒になっておりましたが、あのだぶだぶの洋服をつけ、そしてあの通信隊が、電線が切れますと昼間出て、砲撃のあと、それから飛行機のもとでつないでいる。だれもみな壕に入っておりますけれども、この通信隊は昼間出てつないでおります。また、夕方になりますと、艦砲射撃が幾らかとまったときには、私などのおる壕にもこの少年兵が訪れてきます。訪れてきて、幾らかのお握りを与えますと、自分で食べずに、班長のもとに持っていって、班長に宮ばれたいというあの気持、実際まのあたり私どもは見ております。親としまして、私たちは決してなくなったことにつきまして恨んでもおりません。何もしておりません。私たちはお国にささげたという当然の気持でございます。だが、しかしながら、一緒に行動したところの人たちが、十七才というところを境にして、年が一日でもあるいは一年でも二年でも違ったというただその境界のもとに、同じ列に列することのできないことを、非常に悲しんでおります。だから、何とか皆様方の御同情あるいはお知恵によりまして、立法するなり何なりお願いしたいのであります。
それから、もう一つあります。その当時ちょうど私の子供が東京におりましたので新聞の切り抜きもございますが、これにも出ているように、あの当時の太田文部大臣から、沖縄の第一中学校の学徒と師範学校の学徒には表彰状も参っております。私たちは壕の中におりまして万歳を唱えて感激したものでございます。これをつけ加えて申し上げます。
これは、私ども親と、それから生き残りのあの当時の先生と、また生き残りの学友が相集まって、事実はこうであったということを作り上げたものであります。私、親といたしまして、なぜ軍人にお願いしたいかと申しますと、沖縄の特殊事情と申しますが、私たちは不幸にして生きておるという考えまで起るくらいであります。自分の国土を全員をあげて守り切れなかった、私ども実に気のひけるような責任感に打たれております。決して軍人がどうのこうのというようなこともあり荻せん。皆さんが沖縄においでになりまして、あの牛島閣下、長参謀閣下の霊に毎日草花が絶えない、香華が絶えないことをごらんになってもわかると思います。法はいろいろあるだろうと思いますけれども、議員様方がほんとうに親の訴えをお聞き取り下さいまして――わずか五百数名でございます。さらに、援護金受け取りにしましても、沖縄の実情は、この年金を受け取るような者は何者かということになりましたときに、これも半数くらいであります。実際に適用される沖縄の遺族は十五万だの何だのとありますけれども、この法によっていろいろと年金な・り恩給なりにありつく者は、一家が全滅したりして、恩給法、援護法によるものがたくさんあるわけではございません。だから、あの女子学徒あるいは十七才以上の子供たちが軍属あるいは軍人にしていただいたことに対しても、ほんとうに私たちは手を合せて感謝しておるようなわけであります。なお、御無理とは思いますが、この十五才木満の者のあの事実、私もあの戦で一緒になっておりましたが、あのだぶだぶの洋服をつけ、そしてあの通信隊が、電線が切れますと昼間出て、砲撃のあと、それから飛行機のもとでつないでいる。だれもみな壕に入っておりますけれども、この通信隊は昼間出てつないでおります。また、夕方になりますと、艦砲射撃が幾らかとまったときには、私などのおる壕にもこの少年兵が訪れてきます。訪れてきて、幾らかのお握りを与えますと、自分で食べずに、班長のもとに持っていって、班長に宮ばれたいというあの気持、実際まのあたり私どもは見ております。親としまして、私たちは決してなくなったことにつきまして恨んでもおりません。何もしておりません。私たちはお国にささげたという当然の気持でございます。だが、しかしながら、一緒に行動したところの人たちが、十七才というところを境にして、年が一日でもあるいは一年でも二年でも違ったというただその境界のもとに、同じ列に列することのできないことを、非常に悲しんでおります。だから、何とか皆様方の御同情あるいはお知恵によりまして、立法するなり何なりお願いしたいのであります。
それから、もう一つあります。その当時ちょうど私の子供が東京におりましたので新聞の切り抜きもございますが、これにも出ているように、あの当時の太田文部大臣から、沖縄の第一中学校の学徒と師範学校の学徒には表彰状も参っております。私たちは壕の中におりまして万歳を唱えて感激したものでございます。これをつけ加えて申し上げます。
これは メッセージ 29585 (fukagawatohei さん)への返信です.