前田雄二記者の証言
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/09/04 00:43 投稿番号: [2922 / 41162]
占領後、難民区内で大規模の略奪、暴行、放火があったという外電が流れた。これを知って、私たちはキツネにつままれたような思いをした。というのは、難民区は入城早々指定され、将校の立ち入りが禁止された。そして入城式のころから難民区内でも区外でも商店が店を開けはじめ、同盟班も十八日には難民区内にあった旧支局に移動していた。これは区内の治安が回復したからのことである。
支局には、戦前働いていた料理人や下働きが戻ってきた。これと入れ違いに、これまで忠実に仕えてきた李杏泉が多額の軍票と身分証明書を与えられて住民の中に去った。
難民区内での日本兵の“乱暴狼藉”説が上海から伝えられたのは、その直後のことだったのだ。すなわち、私たちが以前の活気を取り戻した難民区内の支局で、平和な日常活動をはじめた矢先のことである。私たちは顔を見合わせた。新井も堀川も中村農夫も、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃蕩や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も、十四日には終わっていたのだ。もしこうした無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった。
警備指令官の記者会見でも、「例の白髪三千丈」だろうと、まともに取り上げる空気にはなかった。もしそれが事実だったとすれば、私たち新聞記者は明きめくらだったということになる。
(中略)
翌日(十九日)難民区をまわる。政府上層部や金持ち階級はほとんど逃亡してしまって、空家になったそれらの家々は荒らされている。しかし庶民階級は居住地域にそのまま残り、店は開き、行き交う人が多い。物売りが町を歩き、大道芸人が皿まわしをやって人を集める。私はカメラの稲津と二人で支那風呂に入ってみる。若い湯女が全身を洗い、マッサージをする。軍表で支払うと、店の主人がはじめて見る紙幣を物珍しげに吟味する。新しい支配者のもとでの生活がはじまったことを実感として受けとったのだろう。
(中略)
まず車を駆って、城南の雨花台から莫愁湖へ。曇り空の下の湖面は白々と淋しく、湖畔は荒れ、駐屯したカモが時々羽音をひびかせるだけのわびしい眺めだった。次いで城東にまわり、玄武湖から明孝陵、中山陵を訪れる。あの激戦の去ったあとは嘘のように静寂だった。近代的に設計された中山陵は広大な敷地に白亜の尖塔を中心にした簡潔で壮大な陵域だった。兵隊たちがピクニックのように見物に歩いており、芝生で弁当を広げる姿があった。
(中略)
新聞を引っくり返す私たちに、きれいな中国娘が茶を運んできた。私は目を瞠った。こんな美しい娘を見たことははじめてのように思えた。娘は愛嬌のある笑顔で茶をすすめる。班の将校が「芸者だったらしいよ」と言って笑った。私は、明日帰らなければならないことを思うと、急に後ろ髪を引かれる思いを覚えた。戦争は終わったのだ。平和が息吹き始めた南京には、もはや仕事はなくなっていた。
支局には、戦前働いていた料理人や下働きが戻ってきた。これと入れ違いに、これまで忠実に仕えてきた李杏泉が多額の軍票と身分証明書を与えられて住民の中に去った。
難民区内での日本兵の“乱暴狼藉”説が上海から伝えられたのは、その直後のことだったのだ。すなわち、私たちが以前の活気を取り戻した難民区内の支局で、平和な日常活動をはじめた矢先のことである。私たちは顔を見合わせた。新井も堀川も中村農夫も、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃蕩や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も、十四日には終わっていたのだ。もしこうした無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった。
警備指令官の記者会見でも、「例の白髪三千丈」だろうと、まともに取り上げる空気にはなかった。もしそれが事実だったとすれば、私たち新聞記者は明きめくらだったということになる。
(中略)
翌日(十九日)難民区をまわる。政府上層部や金持ち階級はほとんど逃亡してしまって、空家になったそれらの家々は荒らされている。しかし庶民階級は居住地域にそのまま残り、店は開き、行き交う人が多い。物売りが町を歩き、大道芸人が皿まわしをやって人を集める。私はカメラの稲津と二人で支那風呂に入ってみる。若い湯女が全身を洗い、マッサージをする。軍表で支払うと、店の主人がはじめて見る紙幣を物珍しげに吟味する。新しい支配者のもとでの生活がはじまったことを実感として受けとったのだろう。
(中略)
まず車を駆って、城南の雨花台から莫愁湖へ。曇り空の下の湖面は白々と淋しく、湖畔は荒れ、駐屯したカモが時々羽音をひびかせるだけのわびしい眺めだった。次いで城東にまわり、玄武湖から明孝陵、中山陵を訪れる。あの激戦の去ったあとは嘘のように静寂だった。近代的に設計された中山陵は広大な敷地に白亜の尖塔を中心にした簡潔で壮大な陵域だった。兵隊たちがピクニックのように見物に歩いており、芝生で弁当を広げる姿があった。
(中略)
新聞を引っくり返す私たちに、きれいな中国娘が茶を運んできた。私は目を瞠った。こんな美しい娘を見たことははじめてのように思えた。娘は愛嬌のある笑顔で茶をすすめる。班の将校が「芸者だったらしいよ」と言って笑った。私は、明日帰らなければならないことを思うと、急に後ろ髪を引かれる思いを覚えた。戦争は終わったのだ。平和が息吹き始めた南京には、もはや仕事はなくなっていた。
これは メッセージ 2921 (deliciousicecoffee さん)への返信です.