南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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小林氏のデマ第3弾

投稿者: felix0014 投稿日時: 2004/09/02 18:39 投稿番号: [2896 / 41162]
>昭和12年12月、まさに「南京虐殺」があったといわれる期間に、南京には120人以上の報道陣がいた。石川達三、大宅壮一、林芙美子、西条八十といった高名な文化人もいた。だが誰も虐殺があったなどとは言っていない。もし情報統制で口止めされていたのであれば、戦後には絶対にそのことを暴露し、虐殺の目撃談を話したはずだ。ところが誰もが一貫して戦後も「虐殺はなかった」と主張していた。

以下、大宅壮一のサンデー毎日での発言です。

…引用…
文化粛正と教育問題と   9月17日   天津
南京大虐殺の”真相”を聞く

小谷   ここで、聞いた要点だけ紹介しておきますと、昭和十二年の十二月十三日から入城して、翌年の二月までに三十万人の中国人が虐殺された。当時の南京の人口は百万であった。そして家屋は三分の一が焼かれ、商店街の八○%が焼き払われたというのが、この虐殺のポイントの数字です。かなりドキュメントとして度の強い話が展開したわけですが、大宅さん、このへんで感想と判断をおっしゃってくださいませんか。

大宅   私はね、あそこまで先陣争い―各兵団が門を目ざし、ちょうどスゴロクの”上がり”みたいにね、だれが上がるか、同時に南京を占領することは大陸の戦争が終わることだというような考え方が強かったですね。兵隊の士気大いに上がり、猛烈な勢いで南京へと進んできた。私は毎日新聞の準特派員というか、毎日新聞の旗についてきたんだが、私たちの属していた兵団がね、中山門にはいって惜しくも二着になったのかな。光華門にはいったのが第一着で、これが最初の”万歳”を唱えた。しかし、入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね。

  つぎに、南京というものの性格だが、南京の都市計画そのものも、われわれが見ていてよくできているし、街路樹なんかに五年や十年で育たないような古い大きな木が相当あるんだね。都市計画そのものの最初の青写真を作ってある程度やったのは蒋介石なんだね。だから蒋介石プランの上をいまの新政権がなぞったようなものだね。こんどきて一ばんいいと思うのは、やはり都市計画、道路と並み木ですね。これはどちらかというと蒋介石の手柄だと思うんですね。それをまあ、あまりいわないんだな。

  それがいま、日本軍に対する憎しみより、国民党政府に対する憎しみに重点をおいてどこかズレているところがある。ところが、対日本人観という公式みたいなものがあって、日本軍国主義は悪いんだが、日本人民は悪くないんだ、友人であるという認識、これが徹底していて、日本人の顔をみると、どこに行ってもこれをいうんですな。そのひとつの図式というか、これは中央から出ている、と思うね。
(「サンデー毎日」臨時増刊   1966年10月20日号   P77〜P78)

「まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね。」
この文を、小林氏は「虐殺があったなどとは言っていない」と読むそうです。
普通の人とは異なる日本語の使い方をするようです。
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