731部隊国会答弁
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/09/08 11:40 投稿番号: [28956 / 41162]
(1)敗戦後における七三一部隊の動向
1) 引き上げ問題における七三一部隊の登場
はじめて七三一部隊が取り上げられたのは、1949年12月23日の参議院「在外同胞に関する特別委員会」であり、以後引き上げ問題と、ハバロフスク軍事裁判との関係で七三一部隊が取り上げられた。引揚者の中に七三一部隊関係者がいること、また彼らの一部がハバロフスク軍事裁判で裁かれているといった実情が引き上げてきた関係者によって証言されている。
例えば12月23日の参議院「在外同胞に関する特別委員会」では、高山秀夫が帰還の問題、あるいはハバロフスク裁判の対象者の状況についてふれた中で次のように述べている。
「まず前職者と規定されるものは連合国軍の一員であるソ同盟に対する直接の攻撃に参加したものを言います。これは特務機関、それから憲兵、警察・・・国内の治安に当たっていたものはこれに該当いたしませんが、ソヴィエトに対する直接の攻撃に参加したもの、それから特殊部隊、例えばさっき御説明申し上げました防疫給水部、いわゆる細菌戦部隊、石井中将を長とする東条の直接の指揮下にあった恐るべき細菌戦部隊・・・それから三四五、それからパルチザン部隊、これらのものが前職者として現在取調べを受けておる筈であります。」
そして七三一部隊そのものについても次のように述べている。
「・・・それから防疫給水部、特に石井中将を長といたしまするハルビンの香坊の郊外にありました石井部隊、これは大体ちょっと概要を御説明申し上げますと、これら、ペスト、発疹チフス、このような恐るべき細菌を培養いたしまして、これをソヴィエト、あるいは中国の人民にばら撒いてそうして人民を惨憺たる戦火の中に巻き込んでいくという恐るべき部隊であったわけであります。」
また同じ日に証言した佐藤甚一も、日本への帰還停止の情況を報告する中で、「ナホトカから逆送された人員につきまして・・・本年の六月二十五日、帰国阻止に遭いまして、十月の十九日まで残っておりました。・・・・第二回目、十月の十一日・・・前職者、それから衣部隊関係者、防疫給水部、そういった人員構成で・・・。行先不明、作業に行くと言う事だけははっきり言っております」と述べ、日本への帰還が阻止されたメンバーの内情報告の中で七三一関係者が含まれていたことを指摘している。
また時期はやや遅くなるが(1955年5月2日)中国からの引揚者の証言の中にも、本人が大連衛生研究所に勤務していたといったものが現れる。
以上のように、1949年12月の時点で、すでに国会に於いて防疫給水部の存在と、その活動の一端が報告されていたことを確認できる。
上記の証人、ことに高山秀夫は旧陸軍に批判的な立場からの証言であるが、旧陸軍将校として、陸軍擁護、あるいは天皇擁護の姿勢に立つ者も、七三一部隊に言及している例がある。1950年2月6日の参議院「在外同胞に関する特別委員会」で証人にたった種村佐幸がそれである。ちなみに種村は陸軍士官学校第37期生、敗戦時陸軍大佐・第17方面軍参謀であり、任官後の経歴には、大本営参謀(戦争指導班、1941.2.15-42.1.21)、参謀本部員(1939.12.1任)、陸軍省軍務局課員(1945.4.23-45.8.4)等があり軍の中枢経験者である。
彼はハバロフスク裁判に関連してエラブカ、モスクワ、ハバロフスクで尋問を受けているが、そのいずれに於いても防疫給水部隊については内実を知らなかったし、大本営との関係も知らなかったと主張し続けたと証言しているが、同時に防疫給水部関係者が裁判で被告とされるに至った経緯、またその内容に関して次のように証言している。
(続く)
1) 引き上げ問題における七三一部隊の登場
はじめて七三一部隊が取り上げられたのは、1949年12月23日の参議院「在外同胞に関する特別委員会」であり、以後引き上げ問題と、ハバロフスク軍事裁判との関係で七三一部隊が取り上げられた。引揚者の中に七三一部隊関係者がいること、また彼らの一部がハバロフスク軍事裁判で裁かれているといった実情が引き上げてきた関係者によって証言されている。
例えば12月23日の参議院「在外同胞に関する特別委員会」では、高山秀夫が帰還の問題、あるいはハバロフスク裁判の対象者の状況についてふれた中で次のように述べている。
「まず前職者と規定されるものは連合国軍の一員であるソ同盟に対する直接の攻撃に参加したものを言います。これは特務機関、それから憲兵、警察・・・国内の治安に当たっていたものはこれに該当いたしませんが、ソヴィエトに対する直接の攻撃に参加したもの、それから特殊部隊、例えばさっき御説明申し上げました防疫給水部、いわゆる細菌戦部隊、石井中将を長とする東条の直接の指揮下にあった恐るべき細菌戦部隊・・・それから三四五、それからパルチザン部隊、これらのものが前職者として現在取調べを受けておる筈であります。」
そして七三一部隊そのものについても次のように述べている。
「・・・それから防疫給水部、特に石井中将を長といたしまするハルビンの香坊の郊外にありました石井部隊、これは大体ちょっと概要を御説明申し上げますと、これら、ペスト、発疹チフス、このような恐るべき細菌を培養いたしまして、これをソヴィエト、あるいは中国の人民にばら撒いてそうして人民を惨憺たる戦火の中に巻き込んでいくという恐るべき部隊であったわけであります。」
また同じ日に証言した佐藤甚一も、日本への帰還停止の情況を報告する中で、「ナホトカから逆送された人員につきまして・・・本年の六月二十五日、帰国阻止に遭いまして、十月の十九日まで残っておりました。・・・・第二回目、十月の十一日・・・前職者、それから衣部隊関係者、防疫給水部、そういった人員構成で・・・。行先不明、作業に行くと言う事だけははっきり言っております」と述べ、日本への帰還が阻止されたメンバーの内情報告の中で七三一関係者が含まれていたことを指摘している。
また時期はやや遅くなるが(1955年5月2日)中国からの引揚者の証言の中にも、本人が大連衛生研究所に勤務していたといったものが現れる。
以上のように、1949年12月の時点で、すでに国会に於いて防疫給水部の存在と、その活動の一端が報告されていたことを確認できる。
上記の証人、ことに高山秀夫は旧陸軍に批判的な立場からの証言であるが、旧陸軍将校として、陸軍擁護、あるいは天皇擁護の姿勢に立つ者も、七三一部隊に言及している例がある。1950年2月6日の参議院「在外同胞に関する特別委員会」で証人にたった種村佐幸がそれである。ちなみに種村は陸軍士官学校第37期生、敗戦時陸軍大佐・第17方面軍参謀であり、任官後の経歴には、大本営参謀(戦争指導班、1941.2.15-42.1.21)、参謀本部員(1939.12.1任)、陸軍省軍務局課員(1945.4.23-45.8.4)等があり軍の中枢経験者である。
彼はハバロフスク裁判に関連してエラブカ、モスクワ、ハバロフスクで尋問を受けているが、そのいずれに於いても防疫給水部隊については内実を知らなかったし、大本営との関係も知らなかったと主張し続けたと証言しているが、同時に防疫給水部関係者が裁判で被告とされるに至った経緯、またその内容に関して次のように証言している。
(続く)
これは メッセージ 28954 (nyankotyanndamon さん)への返信です.