731部隊アメリカとの密約
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/09/08 08:28 投稿番号: [28948 / 41162]
1999年9月22日、東京地方裁判所で、一つの判決が下った。
「満州国に731部隊のための研究所が建設され、細菌兵器の大量生産、実戦での使用を目的とし、そのためマルタと称する捕虜に対する人体実験も行われた。731部隊の存在と人体実験等は、疑う余地がない……。」
戦後、長きに渡り国がその存在を認めていなかった731部隊を、日本の裁判所が公式に認めた瞬間であった。
731部隊。
今なお謎に包まれているものの、その実態は徐々に研究者、被害者などによって明らかにされつつある。
日中戦争の最中、中国東北部ハルピンから南へ20キロ、平房という凍てついた地に置かれていた極秘の部隊…。」
部隊には、日本医学界のエリート達が集められ、3000人とも6000人とも言われる、マルタと呼ばれる捕虜を使って、細菌兵器や毒ガスの効果を試す人体実験や、生体解剖が行われていたという。そして終戦を機に、731部隊は歴史の表舞台から姿を消したように見えた。
しかしながら、一体この部隊は、どのようにしてこの世に生まれたのか?その謎を紐解いていくと、ひとりの医学者であり、軍人であった男の姿が見えてくる。
731部隊隊長、陸軍軍医中将、石井四郎…。
千葉・加茂に生まれ、地主の子供として、明晰な頭脳ゆえに、将来を期待されて育った石井。京都大学医学部に進んだ彼の心に生まれていたのが、「勝つ」ことへのこだわりと執念だった。
医学者として陸軍に入隊した彼が、日本が来るべき戦争に勝つため目を向けたもの…。それが今なおその効果ゆえに「貧者の核兵器」と呼ばれる細菌戦であり毒ガスなどの化学戦だったのである。
資源に乏しい日本を勝利に導くために、彼は細菌戦の準備に取りかかる。そして昭和11年、凍てつく平房の地に、一大医学研究所、731部隊が生み出されたのだ。
その後、中国人、朝鮮人、ロシア人、モンゴル人などを時に微罪で逮捕、人体実験の材料マルタとして憲兵隊は731部隊に送り込む。
そのマルタを使い、細菌の感染経路から、致死までの経過など、医学の名を借りた戦争犯罪を行っていく。
「戦争に勝つため」という旗印の下、普通の医学者達が狂気に巻き込まれ、悪魔の所業に手を染めていった。
昭和18年、その平房の地に一人のエリート医学者が降り立った。
秋元寿恵夫。
東京大学で血清学を専攻する若き医学者が見たものは、想像すらしなかった地獄絵図であった。
戦時、その中に巻き込まれた一人の医学者がその流れに抗するべくもなく、秋元自身もまた731部隊に荷担していくことになる。
そして戦後、731部隊はその存在をかき消され、東京裁判でも731部隊員は一人として裁かれることはなかった。
それは一体なぜだったのか?
実はその裏には、アメリカとの知らざれる密約があった。
731部隊の人体実験と細菌兵器のデータをそっくりアメリカに渡すことで、戦犯を免責されたのである。
闇の知恵はアメリカに渡され、731部隊員は医の倫理も、戦争責任も問われることなく、戦後の医学界の重鎮に上り詰めていくことになる。
その中で、一人、自らに罰を下したのが秋元寿恵夫であった。
エリート医学者の道を捨て、戦後、医学に携わろうとする若者達の教育に身を捧げたのである。彼は言う。
「一個の人間として生きるためには、科学者の命とも言うべき、研究生活をかえって放棄することこそ、正しい科学者の道である場合が時にはある…。」
一方、戦後の医学界を生き延びていた731部隊員たちの影は、終戦後、40年が過ぎた1985年、突然、歴史の表舞台に姿を現すことになる。
731部隊での研究成果を使い、生み出された非加熱製剤がエイズに汚染され、それが血友病患者にエイズを蔓延させたあの薬害エイズ事件である。
あの事件の中心にいた企業は、731部隊の中枢にいた内藤良一が作り上げたもの。人をモノとしか見ない731部隊の考え方が一度も反省されることなく、戦後に継承されたために起こった悲劇だったのだろうか?
その様子を晩年を迎えた秋元寿恵夫はどのように見ていたのか?
彼は言う。
「医学研究者がヒューマニズムの一線を踏み越えた場合には、このような事件はいつ、またどこでも起こりうるのだ…。」
医の倫理、そして科学者の倫理を静かに、だが力強く叫びながら、秋元寿恵夫は1994年、74歳で息を引き取った。
(大枚をはたいて手に入れた731部隊の資料をアメリカが公表するはずがない。最高軍事機密をアメリカ政府が公開するなどと本気で信じている
人間はそうとうマヌケなヤツだろう。)
「満州国に731部隊のための研究所が建設され、細菌兵器の大量生産、実戦での使用を目的とし、そのためマルタと称する捕虜に対する人体実験も行われた。731部隊の存在と人体実験等は、疑う余地がない……。」
戦後、長きに渡り国がその存在を認めていなかった731部隊を、日本の裁判所が公式に認めた瞬間であった。
731部隊。
今なお謎に包まれているものの、その実態は徐々に研究者、被害者などによって明らかにされつつある。
日中戦争の最中、中国東北部ハルピンから南へ20キロ、平房という凍てついた地に置かれていた極秘の部隊…。」
部隊には、日本医学界のエリート達が集められ、3000人とも6000人とも言われる、マルタと呼ばれる捕虜を使って、細菌兵器や毒ガスの効果を試す人体実験や、生体解剖が行われていたという。そして終戦を機に、731部隊は歴史の表舞台から姿を消したように見えた。
しかしながら、一体この部隊は、どのようにしてこの世に生まれたのか?その謎を紐解いていくと、ひとりの医学者であり、軍人であった男の姿が見えてくる。
731部隊隊長、陸軍軍医中将、石井四郎…。
千葉・加茂に生まれ、地主の子供として、明晰な頭脳ゆえに、将来を期待されて育った石井。京都大学医学部に進んだ彼の心に生まれていたのが、「勝つ」ことへのこだわりと執念だった。
医学者として陸軍に入隊した彼が、日本が来るべき戦争に勝つため目を向けたもの…。それが今なおその効果ゆえに「貧者の核兵器」と呼ばれる細菌戦であり毒ガスなどの化学戦だったのである。
資源に乏しい日本を勝利に導くために、彼は細菌戦の準備に取りかかる。そして昭和11年、凍てつく平房の地に、一大医学研究所、731部隊が生み出されたのだ。
その後、中国人、朝鮮人、ロシア人、モンゴル人などを時に微罪で逮捕、人体実験の材料マルタとして憲兵隊は731部隊に送り込む。
そのマルタを使い、細菌の感染経路から、致死までの経過など、医学の名を借りた戦争犯罪を行っていく。
「戦争に勝つため」という旗印の下、普通の医学者達が狂気に巻き込まれ、悪魔の所業に手を染めていった。
昭和18年、その平房の地に一人のエリート医学者が降り立った。
秋元寿恵夫。
東京大学で血清学を専攻する若き医学者が見たものは、想像すらしなかった地獄絵図であった。
戦時、その中に巻き込まれた一人の医学者がその流れに抗するべくもなく、秋元自身もまた731部隊に荷担していくことになる。
そして戦後、731部隊はその存在をかき消され、東京裁判でも731部隊員は一人として裁かれることはなかった。
それは一体なぜだったのか?
実はその裏には、アメリカとの知らざれる密約があった。
731部隊の人体実験と細菌兵器のデータをそっくりアメリカに渡すことで、戦犯を免責されたのである。
闇の知恵はアメリカに渡され、731部隊員は医の倫理も、戦争責任も問われることなく、戦後の医学界の重鎮に上り詰めていくことになる。
その中で、一人、自らに罰を下したのが秋元寿恵夫であった。
エリート医学者の道を捨て、戦後、医学に携わろうとする若者達の教育に身を捧げたのである。彼は言う。
「一個の人間として生きるためには、科学者の命とも言うべき、研究生活をかえって放棄することこそ、正しい科学者の道である場合が時にはある…。」
一方、戦後の医学界を生き延びていた731部隊員たちの影は、終戦後、40年が過ぎた1985年、突然、歴史の表舞台に姿を現すことになる。
731部隊での研究成果を使い、生み出された非加熱製剤がエイズに汚染され、それが血友病患者にエイズを蔓延させたあの薬害エイズ事件である。
あの事件の中心にいた企業は、731部隊の中枢にいた内藤良一が作り上げたもの。人をモノとしか見ない731部隊の考え方が一度も反省されることなく、戦後に継承されたために起こった悲劇だったのだろうか?
その様子を晩年を迎えた秋元寿恵夫はどのように見ていたのか?
彼は言う。
「医学研究者がヒューマニズムの一線を踏み越えた場合には、このような事件はいつ、またどこでも起こりうるのだ…。」
医の倫理、そして科学者の倫理を静かに、だが力強く叫びながら、秋元寿恵夫は1994年、74歳で息を引き取った。
(大枚をはたいて手に入れた731部隊の資料をアメリカが公表するはずがない。最高軍事機密をアメリカ政府が公開するなどと本気で信じている
人間はそうとうマヌケなヤツだろう。)
これは メッセージ 28943 (deliciousicecoffee さん)への返信です.