Re: 通州j事件は解決済み
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/08/12 03:55 投稿番号: [28769 / 41162]
犯人は、支那の国民党軍でも共産党軍でもなく、事件前までは親日的だった「冀東防共自治政府」の保安隊だった。
しかし、支那保安隊が日本人居留民を大虐殺した最大の原因が国民党の南京政府の御用放送局によるデマ放送であり、保安隊が国民党軍に寝返るための日本人大虐殺だったので、支那軍による大虐殺といって良い。
7月27日頃、北京特務機関がキャッチした南京放送ニュース
――――――
日本軍は盧溝橋の戦場に於いて、我が優勢な29軍と交戦の結果、支離滅裂の敗戦に陥り、豊台と郎坊とは完全に我が手に奪還してしまった。
(略)
なお、最近北京における軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにして、満州失地恢復の第一声を挙げる事を決議した。
――――――
日本軍を撃破した支那の宋哲元軍(29軍)が、冀東防共自治政府(通州)に攻め込んで来れば、今まで親日だった支那保安隊は漢奸として処刑される。
そこでの保安隊の連中は、日本人を大虐殺し、冀東防共自治政府の殷長官を捕らえ、これを手土産にして北京の宋哲元へ馳せ参ずることを決意した。
通州大虐殺事件の原因については、事件の2日前にあった日本軍による保安隊への誤爆や、事前に国民党と保安隊に密約があった計画的犯行など、今でもいろんな説があるが、最大で直接の原因が蒋介石政府の南京放送によるデマ報道だったことは間違いない。
支那保安隊の連中は、日本人大虐殺を手土産にして意気揚々と宋哲元が居ると思い込んでいた北京へと向かった。
ところが、そこにいたのは宋哲元軍(29軍)ではなく、実際には日本軍だった。
日本軍による誤爆が原因なら、支那保安隊が日本人を大虐殺した後に日本軍の居る北京に向かうわけがないのだ。
北京に居るのが宋哲元軍(29軍)ではなく日本軍だと知った支那保安隊の連中は慌てて逃げたが、日本軍に捕まった。
中島29軍顧問は「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息まいた。
しかし、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ。」と止められ、結局、支那保安隊の連中は収容もされず城外に放置されただけとなった。
理由は「収容すると飯を食わさにゃならん。本当は鉛の弾を食わしたいくらいなのに、飯などもったいない。」という事だったが、支那保安隊の連中は後に移動して支那軍に加わった。
これが当時の日本軍であり、お人好しぶりは今の日本人と変わらない。
支那保安隊の連中が通州で大虐殺した日本人を手土産に北京に行ったことは、事件の直接の原因が【南京放送のデマ報道】だった裏付けとなる。
通州事件については犠牲者名簿があり、当時、日本の外務省も公式声明を発した。
つまり、日本人居留民約260人が大虐殺された通州事件ほどの事件が起これば当たり前のことだが、当時、内外において事件が認知されていた。
一方、所謂「南京大虐殺」の場合、当時、支那政府も日本政府もその他誰も事件の認識がなく、よって当然犠牲者名簿などもなかった。
南京事件というのは当時は加害者側も被害者側も誰も全く認識していなかった不思議な不思議な事件なのだ。
このように通州事件と南京事件の差異を冷静に分析するだけでも、「南京事件」が嘘っぱちのでっち上げであることが明白となる。
しかし、支那保安隊が日本人居留民を大虐殺した最大の原因が国民党の南京政府の御用放送局によるデマ放送であり、保安隊が国民党軍に寝返るための日本人大虐殺だったので、支那軍による大虐殺といって良い。
7月27日頃、北京特務機関がキャッチした南京放送ニュース
――――――
日本軍は盧溝橋の戦場に於いて、我が優勢な29軍と交戦の結果、支離滅裂の敗戦に陥り、豊台と郎坊とは完全に我が手に奪還してしまった。
(略)
なお、最近北京における軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにして、満州失地恢復の第一声を挙げる事を決議した。
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日本軍を撃破した支那の宋哲元軍(29軍)が、冀東防共自治政府(通州)に攻め込んで来れば、今まで親日だった支那保安隊は漢奸として処刑される。
そこでの保安隊の連中は、日本人を大虐殺し、冀東防共自治政府の殷長官を捕らえ、これを手土産にして北京の宋哲元へ馳せ参ずることを決意した。
通州大虐殺事件の原因については、事件の2日前にあった日本軍による保安隊への誤爆や、事前に国民党と保安隊に密約があった計画的犯行など、今でもいろんな説があるが、最大で直接の原因が蒋介石政府の南京放送によるデマ報道だったことは間違いない。
支那保安隊の連中は、日本人大虐殺を手土産にして意気揚々と宋哲元が居ると思い込んでいた北京へと向かった。
ところが、そこにいたのは宋哲元軍(29軍)ではなく、実際には日本軍だった。
日本軍による誤爆が原因なら、支那保安隊が日本人を大虐殺した後に日本軍の居る北京に向かうわけがないのだ。
北京に居るのが宋哲元軍(29軍)ではなく日本軍だと知った支那保安隊の連中は慌てて逃げたが、日本軍に捕まった。
中島29軍顧問は「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息まいた。
しかし、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ。」と止められ、結局、支那保安隊の連中は収容もされず城外に放置されただけとなった。
理由は「収容すると飯を食わさにゃならん。本当は鉛の弾を食わしたいくらいなのに、飯などもったいない。」という事だったが、支那保安隊の連中は後に移動して支那軍に加わった。
これが当時の日本軍であり、お人好しぶりは今の日本人と変わらない。
支那保安隊の連中が通州で大虐殺した日本人を手土産に北京に行ったことは、事件の直接の原因が【南京放送のデマ報道】だった裏付けとなる。
通州事件については犠牲者名簿があり、当時、日本の外務省も公式声明を発した。
つまり、日本人居留民約260人が大虐殺された通州事件ほどの事件が起これば当たり前のことだが、当時、内外において事件が認知されていた。
一方、所謂「南京大虐殺」の場合、当時、支那政府も日本政府もその他誰も事件の認識がなく、よって当然犠牲者名簿などもなかった。
南京事件というのは当時は加害者側も被害者側も誰も全く認識していなかった不思議な不思議な事件なのだ。
このように通州事件と南京事件の差異を冷静に分析するだけでも、「南京事件」が嘘っぱちのでっち上げであることが明白となる。
これは メッセージ 28705 (fukagawatohei さん)への返信です.