731部隊と天皇ー裁判記録
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/03/15 20:08 投稿番号: [28152 / 41162]
第1
被告の国家意志による証拠隠滅と隠蔽行為の継続
1 被告は、ポツダム宣言が発表され、日本の敗戦が時間の問題となった1 945年7月下旬以降、中国人などに対し生体実験などの残虐な行為を行った証拠及び国際法に違反して細菌兵器を製造し細菌戦を行った証拠を隠滅しようと画策し、実行した。
前記第2及び第4で明らかにしたとおり、日本軍による細菌戦は、天皇の命令たる「大陸命〔大本営陸軍部作戦命令〕」にもとづき、陸軍参謀総長が出す作戦の具体的な指示である「大陸指〔大本営陸軍部作戦指令〕」の発令によって行われた。細菌戦は、日本軍中枢、天皇、被告そのものによって行われた戦争犯罪である。
被告は、対中国戦争において、国際法に違反することを知りながら、731部隊を中心にして細菌兵器を開発し、中国大陸において実戦使用した。これらの研究開発、製造、作戦実行は、秘密裡のうちに行われた。
日本の敗戦が濃厚になると、被告は、細菌戦の実行という国際法違反の戦争犯罪の事実を隠蔽し、戦争犯罪として裁かれることを防ごうとした。
無条件降伏した被告にとって、天皇の戦争責任を免れることは焦眉の課題であった。細菌戦の事実が明らかになれば、中国の被害者はもとより、国際社会の非難は高まり、細菌戦が戦争犯罪として裁かれることはもちろん、日本の戦争犯罪に対する国際裁判全体に多大の影響を及ぼし、天皇に対する戦争責任追求も厳しくなることが予想された。
本来、被告は、自ら積極的に中国における細菌戦の事実を明らかにし、関係者、責任者を処罰し、被害者に対する賠償を早期に行わなければならなかった。ところが、戦争の敗北という現実に直面した被告は、国際法違反の細菌戦の事実が明らかになることによって責任追及の手が天皇に及ぶということに危機意識をいだき、国家意志として、細菌戦の戦争犯罪の隠蔽を図ったのである。
この点について、証人近藤昭二は、本法廷に提出した鑑定書(甲106の1)において、次のように指摘している。
「アメリカ軍進駐後まもなく、9月6日にトルーマン米大統領がマッカ ーサーに送付した『降伏後における米国の初期対日方針』などの戦争犯罪人の処罰に関する指針にしたがって、9月10日以降次々にアメリカ側から戦犯逮捕指令が出されていた。
9月18日に行われた東久邇稔彦首相の外国記者団との会見では、質問が天皇の戦争責任と捕虜虐待問題に集中した。この時明確に回答できなかったこともあって、政府は戦争犯罪問題の対策を講じ始め(9月21日『外人記者会見後ノ要措置事項』通達)、天皇に責任がないとの説明を各部局に作成させた。
10月2日には連合国軍総司令部に法務局が設置されて、戦争犯罪の証拠収集、捜査活動に動き出す。
天皇の戦争責任問題への波及をなんとしてもくいとめたい内閣は翌10月3日に各部局からの回答をまとめて『戦争責任等に関する応答要領(案)』を作成した。
こうした情勢の中で、国体護持を第一の要諦、最重要の命題とする政府、旧軍上層部にとって、大陸命に基く大陸指によって遂行された七三一部隊の中国への細菌攻撃の事実はもちろんのこと、国際法違反の人体実験による細菌戦研究は絶対隠蔽しなければならない事実のひとつであった。」(甲106の1、36頁)
被告は敗戦の前後を通して、徹底した証拠隠滅を図った。1945年の敗戦から、サンフランシスコ講和条約の発効までの米軍占領下、とりわけ東京裁判の過程においては、天皇が戦争犯罪裁判にかけられることを免れるために、必至の隠蔽工作を行った。
「日本のばあい、イタリアのような有力なレジスタンス勢力が存在せず、 間接統治という形式からも、旧勢力が存続する条件をのこすことになった。
このため日本の支配層は、『国体護持』を最大のスローガンにして、天皇制の政治、社会秩序を保持することを最大の課題とした。占領軍が進駐して、しだいに占領政策を実施するようになると、日本政府はなんとか、『国体護持』を実現しようとして、執拗な抵抗を続けるのである。」(甲106の1、35頁)
米軍占領下において、細菌戦を隠蔽した被告は、その後も今日に到るまで、国家方針として行政権力を発動し、細菌戦の事実の一切を隠蔽し続け、被害者の救済を妨害してきた。
これらのすべては、被告の国家意志に基づき、公務員によってなされた証拠隠滅、隠蔽行為であり、細菌戦という戦争犯罪を行った被告の、新たな国家犯罪である。
1 被告は、ポツダム宣言が発表され、日本の敗戦が時間の問題となった1 945年7月下旬以降、中国人などに対し生体実験などの残虐な行為を行った証拠及び国際法に違反して細菌兵器を製造し細菌戦を行った証拠を隠滅しようと画策し、実行した。
前記第2及び第4で明らかにしたとおり、日本軍による細菌戦は、天皇の命令たる「大陸命〔大本営陸軍部作戦命令〕」にもとづき、陸軍参謀総長が出す作戦の具体的な指示である「大陸指〔大本営陸軍部作戦指令〕」の発令によって行われた。細菌戦は、日本軍中枢、天皇、被告そのものによって行われた戦争犯罪である。
被告は、対中国戦争において、国際法に違反することを知りながら、731部隊を中心にして細菌兵器を開発し、中国大陸において実戦使用した。これらの研究開発、製造、作戦実行は、秘密裡のうちに行われた。
日本の敗戦が濃厚になると、被告は、細菌戦の実行という国際法違反の戦争犯罪の事実を隠蔽し、戦争犯罪として裁かれることを防ごうとした。
無条件降伏した被告にとって、天皇の戦争責任を免れることは焦眉の課題であった。細菌戦の事実が明らかになれば、中国の被害者はもとより、国際社会の非難は高まり、細菌戦が戦争犯罪として裁かれることはもちろん、日本の戦争犯罪に対する国際裁判全体に多大の影響を及ぼし、天皇に対する戦争責任追求も厳しくなることが予想された。
本来、被告は、自ら積極的に中国における細菌戦の事実を明らかにし、関係者、責任者を処罰し、被害者に対する賠償を早期に行わなければならなかった。ところが、戦争の敗北という現実に直面した被告は、国際法違反の細菌戦の事実が明らかになることによって責任追及の手が天皇に及ぶということに危機意識をいだき、国家意志として、細菌戦の戦争犯罪の隠蔽を図ったのである。
この点について、証人近藤昭二は、本法廷に提出した鑑定書(甲106の1)において、次のように指摘している。
「アメリカ軍進駐後まもなく、9月6日にトルーマン米大統領がマッカ ーサーに送付した『降伏後における米国の初期対日方針』などの戦争犯罪人の処罰に関する指針にしたがって、9月10日以降次々にアメリカ側から戦犯逮捕指令が出されていた。
9月18日に行われた東久邇稔彦首相の外国記者団との会見では、質問が天皇の戦争責任と捕虜虐待問題に集中した。この時明確に回答できなかったこともあって、政府は戦争犯罪問題の対策を講じ始め(9月21日『外人記者会見後ノ要措置事項』通達)、天皇に責任がないとの説明を各部局に作成させた。
10月2日には連合国軍総司令部に法務局が設置されて、戦争犯罪の証拠収集、捜査活動に動き出す。
天皇の戦争責任問題への波及をなんとしてもくいとめたい内閣は翌10月3日に各部局からの回答をまとめて『戦争責任等に関する応答要領(案)』を作成した。
こうした情勢の中で、国体護持を第一の要諦、最重要の命題とする政府、旧軍上層部にとって、大陸命に基く大陸指によって遂行された七三一部隊の中国への細菌攻撃の事実はもちろんのこと、国際法違反の人体実験による細菌戦研究は絶対隠蔽しなければならない事実のひとつであった。」(甲106の1、36頁)
被告は敗戦の前後を通して、徹底した証拠隠滅を図った。1945年の敗戦から、サンフランシスコ講和条約の発効までの米軍占領下、とりわけ東京裁判の過程においては、天皇が戦争犯罪裁判にかけられることを免れるために、必至の隠蔽工作を行った。
「日本のばあい、イタリアのような有力なレジスタンス勢力が存在せず、 間接統治という形式からも、旧勢力が存続する条件をのこすことになった。
このため日本の支配層は、『国体護持』を最大のスローガンにして、天皇制の政治、社会秩序を保持することを最大の課題とした。占領軍が進駐して、しだいに占領政策を実施するようになると、日本政府はなんとか、『国体護持』を実現しようとして、執拗な抵抗を続けるのである。」(甲106の1、35頁)
米軍占領下において、細菌戦を隠蔽した被告は、その後も今日に到るまで、国家方針として行政権力を発動し、細菌戦の事実の一切を隠蔽し続け、被害者の救済を妨害してきた。
これらのすべては、被告の国家意志に基づき、公務員によってなされた証拠隠滅、隠蔽行為であり、細菌戦という戦争犯罪を行った被告の、新たな国家犯罪である。
これは メッセージ 28151 (fukagawatohei さん)への返信です.