Re: 731部隊監獄 -裁判記録
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/03/15 19:54 投稿番号: [28150 / 41162]
序
論
本件訴訟は、戦争中、日本軍が使った細菌兵器で被害を被った中国人の原告たちが、日本政府に対して、謝罪と損害賠償を求めるものである。
そこで、この序論では、戦争犯罪による被害はいかに回復されるべきかという問題、とくに細菌戦被害とその賠償問題の根本にある事柄について触れ、裁判所に本件裁判の重大さについて注意を喚起したい。
人類の歴史上、戦争によって人間同士が殺しあうようになったのは、最近の数千年にすぎない。
しかも、その数千年の間に、人類は、戦争に対する見方を徐々に変えてきたのであり、明らかに戦争手段を規制する方向に変わってきた。
とくに第1次世界大戦以降においては、1928年の不戦条約に象徴されるように、違法戦争観が定着して国際法の原則とされるようになってきたのである。
細菌兵器を国際法が禁止したのは、このような違法戦争観の当然の帰結であった。
それにも拘らず、日本軍は、国際法違反を充分に認識しながら、秘密裏に細菌兵器を開発し、実戦で殺戮の道具としてこれを使ったのである。
日本軍がアジアの諸国に対して行った戦争の残虐さは、すでに歴史事実として明らかになっているところであるが、その残虐さの根源には、戦争に勝つためには手段を選ばず、その戦争手段は全く無制限であるという日本政府の基本的な認識が存在している。
-中略-
したがって、国策として細菌兵器を使用することを決め、そのために国際法を充分自覚しつつあえてこれを破った日本政府の施策は、まさに日本の姿勢そのものを象徴するものとして指弾されなければならない。
1936年秋、関東軍防疫部のために囲い込まれたハルビン郊外平房 の6平方キロメートルにわたる地域で、施設の建設が始まった。
38年6月には、「関東軍参謀部命令第1539号」にもとづき「特別軍事区域」が設定され、部隊の周囲を「無人区」とするため、中国人農家546戸が強制的に立ち退かせられた。こうして日本の細菌戦の中枢となる部隊の本部官舎、細菌製造工場、各種実験室、監獄、専用飛行場、隊員家族宿舎
などが建設された(甲30の68頁以下、甲54、甲110、甲184)。
施設の中心は、約100メートル四方、3階建ての「ロ号棟」とよばれたビルであり、1940年に完成した(関東軍防疫部は1940年に「関東軍防疫給水部」と改称され、翌41年、「731部隊」の部隊番号をもつようになる)。
部隊の中枢は4つの部から構成されていた(甲109)。その第1部の細菌研究部と第4部の細菌製造部はこの「ロ号棟」に置かれ、ペスト、コレラ、チフス、炭疽菌などが研究・製造された。
別棟に置かれた第2部は、実戦研究を担当し、植物絶滅の研究班や昆虫(ノミなど)の研究班、さらに航空班などがあった。
ハルビン市南崗の陸軍病院に置かれた第3部は、部隊の正式名称にかかわる「防疫給水」のための濾水器の製造のほか、ペスト菌などを入れる細菌戦用の陶器製爆弾の容器を製造した(甲32の21頁)。
第4部では、「ロ号棟」の3棟、5棟で、細菌の大量生産が、石井式培養缶(甲87)を用いて行われた。
本件訴訟は、戦争中、日本軍が使った細菌兵器で被害を被った中国人の原告たちが、日本政府に対して、謝罪と損害賠償を求めるものである。
そこで、この序論では、戦争犯罪による被害はいかに回復されるべきかという問題、とくに細菌戦被害とその賠償問題の根本にある事柄について触れ、裁判所に本件裁判の重大さについて注意を喚起したい。
人類の歴史上、戦争によって人間同士が殺しあうようになったのは、最近の数千年にすぎない。
しかも、その数千年の間に、人類は、戦争に対する見方を徐々に変えてきたのであり、明らかに戦争手段を規制する方向に変わってきた。
とくに第1次世界大戦以降においては、1928年の不戦条約に象徴されるように、違法戦争観が定着して国際法の原則とされるようになってきたのである。
細菌兵器を国際法が禁止したのは、このような違法戦争観の当然の帰結であった。
それにも拘らず、日本軍は、国際法違反を充分に認識しながら、秘密裏に細菌兵器を開発し、実戦で殺戮の道具としてこれを使ったのである。
日本軍がアジアの諸国に対して行った戦争の残虐さは、すでに歴史事実として明らかになっているところであるが、その残虐さの根源には、戦争に勝つためには手段を選ばず、その戦争手段は全く無制限であるという日本政府の基本的な認識が存在している。
-中略-
したがって、国策として細菌兵器を使用することを決め、そのために国際法を充分自覚しつつあえてこれを破った日本政府の施策は、まさに日本の姿勢そのものを象徴するものとして指弾されなければならない。
1936年秋、関東軍防疫部のために囲い込まれたハルビン郊外平房 の6平方キロメートルにわたる地域で、施設の建設が始まった。
38年6月には、「関東軍参謀部命令第1539号」にもとづき「特別軍事区域」が設定され、部隊の周囲を「無人区」とするため、中国人農家546戸が強制的に立ち退かせられた。こうして日本の細菌戦の中枢となる部隊の本部官舎、細菌製造工場、各種実験室、監獄、専用飛行場、隊員家族宿舎
などが建設された(甲30の68頁以下、甲54、甲110、甲184)。
施設の中心は、約100メートル四方、3階建ての「ロ号棟」とよばれたビルであり、1940年に完成した(関東軍防疫部は1940年に「関東軍防疫給水部」と改称され、翌41年、「731部隊」の部隊番号をもつようになる)。
部隊の中枢は4つの部から構成されていた(甲109)。その第1部の細菌研究部と第4部の細菌製造部はこの「ロ号棟」に置かれ、ペスト、コレラ、チフス、炭疽菌などが研究・製造された。
別棟に置かれた第2部は、実戦研究を担当し、植物絶滅の研究班や昆虫(ノミなど)の研究班、さらに航空班などがあった。
ハルビン市南崗の陸軍病院に置かれた第3部は、部隊の正式名称にかかわる「防疫給水」のための濾水器の製造のほか、ペスト菌などを入れる細菌戦用の陶器製爆弾の容器を製造した(甲32の21頁)。
第4部では、「ロ号棟」の3棟、5棟で、細菌の大量生産が、石井式培養缶(甲87)を用いて行われた。
これは メッセージ 28149 (gdsa234 さん)への返信です.