Re: 支那が埋めた化学兵器(毒ガス弾)???
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/06/24 01:04 投稿番号: [24162 / 41162]
>あははっはは、、良心的ね、、、ほれで金払ったのか?
領収書ある?
相変わらず、馬鹿丸出しだな。
所有者がカネを取りに行かなければ、日本軍はカネを払わなかっただろうし、所有者がカネ取りに行って日本軍がカネを払っても、所有者が日本軍に領収書を書いて渡していないかもしれないし、所有者が領収書を書いて日本軍に渡しても、日本軍が今まで保存する必要など全くない。
フャイト 黄泉くん!!
>あんたの 大きな勘違いだよ、、無差別に南京都市部を攻撃してる、、飛行場を破壊するのに 3日に2日 昼夜を空けずに数ヶ月も爆撃投下する必要などありゃしないよ。
いつまでも寝言いってんじゃないよ。
無差別爆撃ではなかった。
「第二次上海事変」(上海戦)
8月9日大山中尉惨殺事件→8月13日支那大軍が国際租界日本人居留区包囲攻撃→8月14日支那軍機がホテル爆撃→日本が「暴支膺懲」宣言→日本海軍が『渡洋爆撃』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html
(一部抜粋)
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして南京などにある支那軍の飛行場や前線基地を叩き、上海などに居た日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』
南京の爆撃・諸外国の報道(誹謗中傷運動)と現実(真相)
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ15
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15438815.html
(一部抜粋)
南京の爆撃
…(略)…
そしてこの誹謗中傷運動の結末は?
1937年12月中旬、日本軍が南京に入城した時、中国軍が逃亡する前に彼らが自分で行った略奪や放火を除いて、市街はそっくりそのまま無傷で残っていたのである。
戦争の被害・日本軍による爆撃の真相
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ16
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15504826.html
(一部抜粋)
だがしかし日本人は次の点に付いては確信している。即ち非軍事施設、または日本軍に対する作戦として中国軍が利用したことのないような施設を、故意に狙った日本軍のパイロットなど、戦闘の如何なる段階、如何なる場面においてもただの一人もいなかったのだ。
中国の教育施設及びその他の文化施設を日本軍が爆撃したと報じる新聞の紙面には、多くのセンセーショナルな見出しが躍った。だが調査の結果、爆撃されたそれらの文化施設は軍事目的のために中国軍が使用していたことが判明した。次に掲げるのはこの件に関する諸々の事実の要約である。
(以下略)
>じゃ〜〜尋ねよう、、何故 中国人の財産を保護するために ラーベを始めとする世界各国の報道 宣教師 外交官が 難民保護区を設けなきゃならなかった理由を示すべきだろう、、金目当てか?
南京の「安全区」は、もともと、外国人(白人)と支那人の富裕層が住む地区だった。
「安全区」は、白人の会社・大学・病院・教会などの資産やその住居、そして富裕支那人や支那官僚・高級軍人の住居が集中した地区だった。
だから、ラーベたちは、その地区を「安全区」にして、戦闘による被害を免れようとしたのさ。
何か難しいか?
理解力が欠乏しているぞ。
フャイト 黄泉くん!!
相変わらず、馬鹿丸出しだな。
所有者がカネを取りに行かなければ、日本軍はカネを払わなかっただろうし、所有者がカネ取りに行って日本軍がカネを払っても、所有者が日本軍に領収書を書いて渡していないかもしれないし、所有者が領収書を書いて日本軍に渡しても、日本軍が今まで保存する必要など全くない。
フャイト 黄泉くん!!
>あんたの 大きな勘違いだよ、、無差別に南京都市部を攻撃してる、、飛行場を破壊するのに 3日に2日 昼夜を空けずに数ヶ月も爆撃投下する必要などありゃしないよ。
いつまでも寝言いってんじゃないよ。
無差別爆撃ではなかった。
「第二次上海事変」(上海戦)
8月9日大山中尉惨殺事件→8月13日支那大軍が国際租界日本人居留区包囲攻撃→8月14日支那軍機がホテル爆撃→日本が「暴支膺懲」宣言→日本海軍が『渡洋爆撃』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html
(一部抜粋)
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして南京などにある支那軍の飛行場や前線基地を叩き、上海などに居た日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』
南京の爆撃・諸外国の報道(誹謗中傷運動)と現実(真相)
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ15
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15438815.html
(一部抜粋)
南京の爆撃
…(略)…
そしてこの誹謗中傷運動の結末は?
1937年12月中旬、日本軍が南京に入城した時、中国軍が逃亡する前に彼らが自分で行った略奪や放火を除いて、市街はそっくりそのまま無傷で残っていたのである。
戦争の被害・日本軍による爆撃の真相
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ16
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15504826.html
(一部抜粋)
だがしかし日本人は次の点に付いては確信している。即ち非軍事施設、または日本軍に対する作戦として中国軍が利用したことのないような施設を、故意に狙った日本軍のパイロットなど、戦闘の如何なる段階、如何なる場面においてもただの一人もいなかったのだ。
中国の教育施設及びその他の文化施設を日本軍が爆撃したと報じる新聞の紙面には、多くのセンセーショナルな見出しが躍った。だが調査の結果、爆撃されたそれらの文化施設は軍事目的のために中国軍が使用していたことが判明した。次に掲げるのはこの件に関する諸々の事実の要約である。
(以下略)
>じゃ〜〜尋ねよう、、何故 中国人の財産を保護するために ラーベを始めとする世界各国の報道 宣教師 外交官が 難民保護区を設けなきゃならなかった理由を示すべきだろう、、金目当てか?
南京の「安全区」は、もともと、外国人(白人)と支那人の富裕層が住む地区だった。
「安全区」は、白人の会社・大学・病院・教会などの資産やその住居、そして富裕支那人や支那官僚・高級軍人の住居が集中した地区だった。
だから、ラーベたちは、その地区を「安全区」にして、戦闘による被害を免れようとしたのさ。
何か難しいか?
理解力が欠乏しているぞ。
フャイト 黄泉くん!!
これは メッセージ 24136 (todorigafuti さん)への返信です.