南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 通州事件はリンクしている

投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/05/02 03:11 投稿番号: [23496 / 41162]
>ノイズマンさんがお勧めの本・ホームページ等ありましたら教えて下さい。

検索したら沢山資料ありました。
数年前から知っている人は知っていたのですね。

http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tusyu_jiken_1.html

>宮崎正弘   評論家   正論11月号   平成16年

  ≪最初から謀られて通州の悲劇≫
  盧溝橋事件から僅か三週間のち、即ち昭和12(1937)年7月29日に「通州事件」は起きた。通州は明朝時代に城壁が築かれ、天津から集荷の拠点として栄えた。交通の要衝、運河の街でもある。北京の郊外、東へおよそ18キロ。事件直前まで日本人にとっては「治安の良い」場所とされた。なぜなら親日派の「冀東防共自治政府」が通州、天津などを治めており、日本人を妻とする「殷汝耕」が長官だったからだ。
  この自治政府は付近から雑兵を掻き集めて、一応、9千人の「保安隊」を組織していた。お人好し日本は自治政府が親日であることを信じて疑わず、保安隊の軍事訓練まで施していた。たまたま事件前夜まで、南宛に向かう萱島連隊が通州を兵站基地をして、盧溝橋事件十日後から駐屯していた。だから居留日本人は二重に安心していたのだ。
  しかし通州には反日派の頭目「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊、合計で三千の軍が野砲で武装して駐屯していた。ひとつは城内に、もう一つの部隊は城外(といっても南門のすぐ脇)に。しかも張らは親日政府=キ東防共自治政府保安隊のなかに密かに潜り込ませた反日分子と接触を絶やさず、また親日派のはずの保安隊のなかに共産党の細胞まであった。彼らは反日では団結する。反日分子たちは日本軍が通州で空になる機会をじっと窺っていた。

  一方、南京の国民党政府は通州に「冀察政務委員会」を設置していた。事実上の影の政府だが、委員長は中国第二十九軍の「宋哲元」だった。冀は河北省、察はチチハルを意味する。かれらは極秘裏に居留日本人の住所、家族構成を調べ上げ、リストを作成していた。

(中略)

≪通州住民はまるで知らない≫
  殷汝耕は、その後、日本軍の手に戻され裁判で無罪となり、犠牲者追悼の義捐金を集めたり供養搭を建てたりの活躍をしたものの、日本の降伏後、蒋介石により「親日分子」の烙印をおされて処刑、悲運を辿った。

  虐殺の指揮をとった張慶餘と張硯田は、その後も戦争中を生き延び、とくに張慶餘は中将にまで出世、1986年にはしゃあしゃあと回想録まで出版、デタラメなことを書いている。

  だが、「通州の虐殺が中国側の謀略だった証明ははからずも最近中国で出版された『盧溝橋事変風雲編』という書物にあり、そのなかには、張慶餘と張硯田と宋哲元との間に盧溝橋事件以前から密約が存在していた事実が書かれている。しかも張慶餘と宋哲元とを結びつけたのは哥老会であった」(岡野篤夫「通州事件の真相」より抜粋、『正論』平成二年六月号)。

≪反日ムードの裏側≫
・孫子以来、中国政府の要諦とは謀略が第一であり、中央集権の統一メカニズムを維持するためにさかんに情報操作、政治宣伝、悪質な謀略を用いる。本気で武器を用いた殺し合いをするのは愚か、と孫子は説いた。<

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6&lr=

http://tomisia.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_ab0f.html

http://debate.100man.info/keijiban/html/main6/6_87_1.htm
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