Re: 通州事件はリンクしている
投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/05/02 02:46 投稿番号: [23495 / 41162]
ノイズマンさん今日は。
>そして、「最も積極的にアヘンをかき集めていた」のが「中国共産党軍」です。
通州事件でも「朝鮮人たちが作っていたアヘン」が見つかっておらず、「通州人が日本の居留区を襲った」というより、「日本人に対する可能な限りの残虐行為を行なった真犯人たちが持ち去った」と見るのが妥当です
「通州人」は「チャイナで最も親日的」と評判でした。
「その通州で日本人に対する最も残虐な行為が行なわれる」ことに意味があります。
すなわち、「盧溝橋事件と上海事変の間に起きた通州事件」は偶発的なものではなく、
中国共産党軍の劉少奇が「日本軍と国民党軍を共倒れさせよう」として起した「盧溝橋事件」
「国民党軍に日本軍を追い出させよう」とした「上海事変」
とともに「日本人とチャイナ人民との友好関係を破壊しよう」とした「通州事件」は「完全にリンクしている」ということです。 <
これは知りませんでした。ビックリです。
でも確かに…
共産党延安移転:1936.6-10月
西安事件 : 12.12
盧溝橋事件 :1937.07.07 → 北支事変(※但し日本は戦線不拡大方針)
通州事件 : 07.29 → 国内世論沸騰("暴支鷹懲")
第二次上海事変: 08.13 → 支那事変(※日本の意に反し華中に戦線拡大)
第二次国共合作: 9月
と、上手く出来てますね。
下のwikipedeaは恣意的な編集が多いので引用する資料としては今一つと思っています。
ノイズマンさんがお勧めの本・ホームページ等ありましたら教えて下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89
1937年(昭和12年)
7月7日 盧溝橋事件 7月11日 近衛文麿内閣、対中方針を発表し、天津に二個師団の増派を決定。
7月20日ごろ - 盧溝橋付近で衝突再燃
7月25日 - 郎坊駅事件(鉄道駅での日中軍衝突)
7月26日 - 広安門事件(北京広安門で日本軍が中国軍より銃撃)
7月29日 - 通州事件(中国{冀東防共自治政府}保安隊による日本人虐殺)、天津駐留日本軍は中国軍攻撃開始。
8月 - 中ソ不可侵条約、中国共産党八路軍結成
8月13日 - 第二次上海事変
8月14日 - 渡洋爆撃開始
9月 - 日本海軍、中国大陸沿岸を封鎖
9月 - 第二次国共合作
9月14日 - 日本軍、北京・天津より南進を開始。保定攻略。
11月 - 国民政府(蒋介石)、重慶へ遷都
11月5日 - 日本軍、杭州湾に上陸。参謀本部は作戦区域を上海西部の蘇州〜嘉興のラインまでと指示。
11月19日 - 日本軍、蘇州攻略。
11月27日 - 日本軍、指示を無視して戦線を拡大、無錫攻略。
11月29日 - 日本軍、常州攻略。
12月1日 - 参謀本部、南京攻略を許可。
12月10日 - 日本軍、南京攻撃開始。
12月12日 - 中国(国民党)軍の唐生智大将が南京から逃走。
12月13日 - 南京攻略、南京事件(規模、性質等を巡って論争あり。南京大虐殺論争参照)
12月17日 - 日本軍、南京入城式
[編集] 1938年(昭和13年)
1月 - 近衛文麿、「国民政府を対手とせず」の声明
3月 - 南京に中華民国維新政府成立
4月17日 - 参謀本部、徐州攻略作戦を許可
5月 - 日本、国家総動員法公布
5月15日 - 中国軍、徐州放棄(徐州会戦)
5月19日 - 日本軍、徐州占領
7月 - 8月 - 張鼓峰事件(日ソ武力衝突)
10月 - 日本軍、バイアス湾上陸、広東占領、武漢三鎮を攻略
12月 - 汪兆銘が重慶を脱出
[編集] 1939年(昭和14年)
2月 - 中ソ航空協定締結。日本軍、中国最南の海南島占領
5月 - 8月 - ノモンハン事件(日ソ武力衝突)
[編集] 1940年(昭和15年)
1月 - 汪兆銘、南京で親日政府樹立(南京政府)
9月23日 - 日本軍、仏領インドシナ北部(北部仏印)に進駐
8月 - 12月 - 八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦)
12月 - 仏印とタイが武力衝突
[編集] 1941年(昭和16年)
1月 - 仏印とタイが講和
4月 - 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、中ソ中立条約成立
5月 - 米国、対中武器貸与法発動
7月28日 - 日本軍、仏領インドシナ南部(南部仏印)進駐
10月 - マニラで英米蘭中の軍事会談
12月8日 - 日本、真珠湾攻撃、のちに英米蘭に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)勃発)
>そして、「最も積極的にアヘンをかき集めていた」のが「中国共産党軍」です。
通州事件でも「朝鮮人たちが作っていたアヘン」が見つかっておらず、「通州人が日本の居留区を襲った」というより、「日本人に対する可能な限りの残虐行為を行なった真犯人たちが持ち去った」と見るのが妥当です
「通州人」は「チャイナで最も親日的」と評判でした。
「その通州で日本人に対する最も残虐な行為が行なわれる」ことに意味があります。
すなわち、「盧溝橋事件と上海事変の間に起きた通州事件」は偶発的なものではなく、
中国共産党軍の劉少奇が「日本軍と国民党軍を共倒れさせよう」として起した「盧溝橋事件」
「国民党軍に日本軍を追い出させよう」とした「上海事変」
とともに「日本人とチャイナ人民との友好関係を破壊しよう」とした「通州事件」は「完全にリンクしている」ということです。 <
これは知りませんでした。ビックリです。
でも確かに…
共産党延安移転:1936.6-10月
西安事件 : 12.12
盧溝橋事件 :1937.07.07 → 北支事変(※但し日本は戦線不拡大方針)
通州事件 : 07.29 → 国内世論沸騰("暴支鷹懲")
第二次上海事変: 08.13 → 支那事変(※日本の意に反し華中に戦線拡大)
第二次国共合作: 9月
と、上手く出来てますね。
下のwikipedeaは恣意的な編集が多いので引用する資料としては今一つと思っています。
ノイズマンさんがお勧めの本・ホームページ等ありましたら教えて下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89
1937年(昭和12年)
7月7日 盧溝橋事件 7月11日 近衛文麿内閣、対中方針を発表し、天津に二個師団の増派を決定。
7月20日ごろ - 盧溝橋付近で衝突再燃
7月25日 - 郎坊駅事件(鉄道駅での日中軍衝突)
7月26日 - 広安門事件(北京広安門で日本軍が中国軍より銃撃)
7月29日 - 通州事件(中国{冀東防共自治政府}保安隊による日本人虐殺)、天津駐留日本軍は中国軍攻撃開始。
8月 - 中ソ不可侵条約、中国共産党八路軍結成
8月13日 - 第二次上海事変
8月14日 - 渡洋爆撃開始
9月 - 日本海軍、中国大陸沿岸を封鎖
9月 - 第二次国共合作
9月14日 - 日本軍、北京・天津より南進を開始。保定攻略。
11月 - 国民政府(蒋介石)、重慶へ遷都
11月5日 - 日本軍、杭州湾に上陸。参謀本部は作戦区域を上海西部の蘇州〜嘉興のラインまでと指示。
11月19日 - 日本軍、蘇州攻略。
11月27日 - 日本軍、指示を無視して戦線を拡大、無錫攻略。
11月29日 - 日本軍、常州攻略。
12月1日 - 参謀本部、南京攻略を許可。
12月10日 - 日本軍、南京攻撃開始。
12月12日 - 中国(国民党)軍の唐生智大将が南京から逃走。
12月13日 - 南京攻略、南京事件(規模、性質等を巡って論争あり。南京大虐殺論争参照)
12月17日 - 日本軍、南京入城式
[編集] 1938年(昭和13年)
1月 - 近衛文麿、「国民政府を対手とせず」の声明
3月 - 南京に中華民国維新政府成立
4月17日 - 参謀本部、徐州攻略作戦を許可
5月 - 日本、国家総動員法公布
5月15日 - 中国軍、徐州放棄(徐州会戦)
5月19日 - 日本軍、徐州占領
7月 - 8月 - 張鼓峰事件(日ソ武力衝突)
10月 - 日本軍、バイアス湾上陸、広東占領、武漢三鎮を攻略
12月 - 汪兆銘が重慶を脱出
[編集] 1939年(昭和14年)
2月 - 中ソ航空協定締結。日本軍、中国最南の海南島占領
5月 - 8月 - ノモンハン事件(日ソ武力衝突)
[編集] 1940年(昭和15年)
1月 - 汪兆銘、南京で親日政府樹立(南京政府)
9月23日 - 日本軍、仏領インドシナ北部(北部仏印)に進駐
8月 - 12月 - 八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦)
12月 - 仏印とタイが武力衝突
[編集] 1941年(昭和16年)
1月 - 仏印とタイが講和
4月 - 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、中ソ中立条約成立
5月 - 米国、対中武器貸与法発動
7月28日 - 日本軍、仏領インドシナ南部(南部仏印)進駐
10月 - マニラで英米蘭中の軍事会談
12月8日 - 日本、真珠湾攻撃、のちに英米蘭に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)勃発)
これは メッセージ 23205 (n_o_i_s_e_m_a_n_d さん)への返信です.