Re: 「南京物語」
投稿者: maximirion 投稿日時: 2008/03/30 19:28 投稿番号: [22751 / 41162]
>歴史的事実として本来、議論すべき段階なのに、いまだに、中国が政治問題化して、日本から利益を搾取するために使用しているふしもあるのだから、疑義のある南京事件には、徹底した抗弁で対処して良いと思う。その中に、戦闘行為とは別に、虐殺がゼロであった説があっても良いと思うが。
「歴史的事実として本来、議論すべき段階」ですから、国内で検証と議論からいくつかの説にまとめ上げて世界中に発信すべきでしょう。
その中で、「虐殺がゼロであった説」がでてきたのであれば、それは一つの見識と言えるでしょう。(およそ戦時下で、虐殺や強奪の類が為されないと考えることは、お花畑ですが)
中国が政治問題化することに対して、直接抗弁により否定すれば、終戦時からの日本の立場では言い訳としてしか国際的には通用しません。
彼らが政治問題化しようと持ち出す説に対して、それに関わりなく客観的に検証されたと見なされる学問的に有効な諸説を共通認識とし、これが国際社会に提示されている状況を作ることが何よりの対抗策でしょう。
中国の歴史認識には、裏付けや一貫性が無いのですから、日本で纏め上げた諸説が客観性で上回る可能性は大です。
そういう状況が作られていれば、中国が政治問題化して、日本から利益を搾取するためにしかけてきても 世界の通念上中国の歴史認識を否定するに足る客観的な根拠を持った諸説が複数あるとしていなすことができるようになります。
>何が起こったのか全貌が良く分かっていないものを、政治問題化したい中国の言いなりになって、はい。中国様もおっしゃる通りでございまする、と、いうわけには、いかなくなってしまった。
仰るとおりです。
「全貌が良く分かっていないもの」を通念上の常識といって見たところで、中国や戦勝国には都合がよいかも知れませんが、日本人としては虚しいだけです。
また、そのようなものの否定に労を費やすことは、国内的にも対外的にも信認は得られず、虚しいばかりです。
今現在まで、個別の研究家が小説家程度に検証を試みた過去はありますが、国民的作業として事実認識を構築すべく客観的な検証と議論をしてこなかったと言えます。
そして、米国や中国などの他国のうち立てる事実認識を歴史認識として記述したり、表明したりすることを日本政府や野党及びマスコミは繰り返してきました。
加えて、日本として独自に事実認識を精査研究するという取り組みをすることも政府も野党も避けてきました。
マスコミや批判勢力の事実認識も 自前で客観評価したものなどまず見あたりません。
過去の事実を日本人として正しく国民に認識して欲しいと良いながら、後世の歴史家に委ねるなどと言い、取り敢えず対外的に他国の打ち建てた認識を肯定して置くなどと云うのは、無責任極まりないのです。
従軍慰安婦調査のようなものでも 調査以前に言われてきたこととは袂を分かつ資料が見つかったにもかかわらず、目先の外交政策の為に恣意的解釈で他国の造り上げる事実認識に合わせて歪めた政府見解を出してしまう等、その最たるものです。
そうかといって、単に政府見解を撤回することなどは、国際的に通用しません。
ですから、より以上の資料や証言を集めて裏付けを取りつつ、学術的に堪えうる理論的な検証に基づく新たな認識が発信されて、その中の一説を改めて政府見解とする以外に道はないのです。
相手のしかけた政治問題化という外交施策としての事実認識若しくは歴史認識に反論するという手段では、まんまと相手の術策に乗っかることを意味するのではないですか。
「歴史的事実として本来、議論すべき段階」ですから、国内で検証と議論からいくつかの説にまとめ上げて世界中に発信すべきでしょう。
その中で、「虐殺がゼロであった説」がでてきたのであれば、それは一つの見識と言えるでしょう。(およそ戦時下で、虐殺や強奪の類が為されないと考えることは、お花畑ですが)
中国が政治問題化することに対して、直接抗弁により否定すれば、終戦時からの日本の立場では言い訳としてしか国際的には通用しません。
彼らが政治問題化しようと持ち出す説に対して、それに関わりなく客観的に検証されたと見なされる学問的に有効な諸説を共通認識とし、これが国際社会に提示されている状況を作ることが何よりの対抗策でしょう。
中国の歴史認識には、裏付けや一貫性が無いのですから、日本で纏め上げた諸説が客観性で上回る可能性は大です。
そういう状況が作られていれば、中国が政治問題化して、日本から利益を搾取するためにしかけてきても 世界の通念上中国の歴史認識を否定するに足る客観的な根拠を持った諸説が複数あるとしていなすことができるようになります。
>何が起こったのか全貌が良く分かっていないものを、政治問題化したい中国の言いなりになって、はい。中国様もおっしゃる通りでございまする、と、いうわけには、いかなくなってしまった。
仰るとおりです。
「全貌が良く分かっていないもの」を通念上の常識といって見たところで、中国や戦勝国には都合がよいかも知れませんが、日本人としては虚しいだけです。
また、そのようなものの否定に労を費やすことは、国内的にも対外的にも信認は得られず、虚しいばかりです。
今現在まで、個別の研究家が小説家程度に検証を試みた過去はありますが、国民的作業として事実認識を構築すべく客観的な検証と議論をしてこなかったと言えます。
そして、米国や中国などの他国のうち立てる事実認識を歴史認識として記述したり、表明したりすることを日本政府や野党及びマスコミは繰り返してきました。
加えて、日本として独自に事実認識を精査研究するという取り組みをすることも政府も野党も避けてきました。
マスコミや批判勢力の事実認識も 自前で客観評価したものなどまず見あたりません。
過去の事実を日本人として正しく国民に認識して欲しいと良いながら、後世の歴史家に委ねるなどと言い、取り敢えず対外的に他国の打ち建てた認識を肯定して置くなどと云うのは、無責任極まりないのです。
従軍慰安婦調査のようなものでも 調査以前に言われてきたこととは袂を分かつ資料が見つかったにもかかわらず、目先の外交政策の為に恣意的解釈で他国の造り上げる事実認識に合わせて歪めた政府見解を出してしまう等、その最たるものです。
そうかといって、単に政府見解を撤回することなどは、国際的に通用しません。
ですから、より以上の資料や証言を集めて裏付けを取りつつ、学術的に堪えうる理論的な検証に基づく新たな認識が発信されて、その中の一説を改めて政府見解とする以外に道はないのです。
相手のしかけた政治問題化という外交施策としての事実認識若しくは歴史認識に反論するという手段では、まんまと相手の術策に乗っかることを意味するのではないですか。
これは メッセージ 22750 (yousunwai01 さん)への返信です.