17万人虐殺の果て毛沢東の臨時政府設立
投稿者: tututontutu_tutonton 投稿日時: 2008/03/22 00:38 投稿番号: [22669 / 41162]
満州事変から盧溝橋事件まで蒋介石の戦略は「時間稼ぎ」だった。
この間に対日戦争準備と軍閥の団結に奔走していた。
その蒋介石の最大の問題は中国共産党だった。
毛沢東ら共産党の基本理念は国民党政府の転覆であり、独自の政府、軍、通貨、政治綱領を持っていた。
満州事変で蒋介石が一部の部隊を北上させるとすかさず手薄になった地域に共産党は軍を派遣し盗み取った。
更に第一次上海事変勃発時に機に乗じた毛沢東は湖南、湖北、河南、安徽等7つの省で全面攻勢にで蒋介石の背後を脅かした。
内外の敵に阻まれた蒋介石は「外を払うにはまず内を安じなければならない」と共産党の排除に取り掛かった。
相手のいないときにしか強く出れない毛沢東の紅軍はまともに戦って抗戦できる組織ではなかった。所詮は盗賊集団でしかなかったのだからどうしようもなく、四川西部の荒地に逃げ込んだ。
1935年蒋介石は国民党の指導下で数十万の軍隊を団結させ、三方から盗賊集団を追い詰めにかかった。
しかしここで毛沢東の謀略にはまってしまった。
内部に浸透させた隠れ共産党員を用いて「西安事変」を起こしたのである。
これは メッセージ 22639 (tututontutu_tutonton さん)への返信です.
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