シンガポールの教科書に、日本軍もその2
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/20 07:21 投稿番号: [22614 / 41162]
5000万ドルの贈り物
日本に反抗した中国人に献金を出させるという罰を課した。
シンガポール、マラヤの中国人社会に対して献金の集金が強いられ、5000万ドルが日本に支払われた。彼らは金を集める為家を売りだしても誰もそれらを買おうとせず、2900万ドルしか集められず、残りは日本の銀行から借りねばならなかった。
ケンペイタイの恐怖
スパイによって日本軍に通報されたものはケンペイタイに連れて行かれ、拷問を受けた。一般的な拷問のひとつは「水責め」であった。とらわれた人は寝かせられ大量の水が鼻から口から流し込まれた、この仕打ちを数週間繰り返し行われた。
食料供給不足と闇市
日本軍がシンガポールを占領した時点では、都市周辺の倉庫には蓄えが二〜3年分は十分持ちこたえられるほど、多量にあった。しかし日本軍はこれらの貯えを取り上げ
、シンガポールの人々にはほとんど残らなかった。
米価格は1941年12月60kgにつき5ドルであったものが1944年3月には200ドル 1945年6月には5000ドルにまで高騰した。
日本人は何でも持っていた、なぜなら、当事使用されていた紙幣は「バナナ紙幣」と呼ばれる日本軍が発行した軍票(1941年12月12日決定の「南方経済対策要綱」に基ずき占領地通貨表示の軍票を発行=正貨準備なく事実上は無価値な紙幣)を好きなだけ印刷し流通させた。その結果シンガポールの外交貿易を行き詰まらせ諸外国との貿易は無に等しくなって行った。
食料不足にともなって、配給制が行われるようなり、米は男性一人につき4.8kg(月)女性は3.6kg子供は2.4kgだけが配給された。1944年初頭には減らされた。栄養不足から多くの人々はベイベリ(脚気)結核、マラリアで悩まされ、また、薬品の不足から死んでいった。
自由の制約
日本軍は英語で話される映画を観ることを禁止した。
新聞、ラジオ放送を監督下においた。
抗日グループ
多数の若者が日本と戦う為に反日ゲリラグループに加わった。
ゲリラグループの指導者リン、ポーセン(華僑抗日義勇隊長)
マレー人民抗日軍(MPAJA)=数千人の中国人、マレー人、インド人
、マラヤ共産党が指揮する。イギリス軍がゲリラの訓練をしていた、これは再度イギリスが再征服する為に準備していた。
日本の占領からの教訓
国家や国民は敵から国を守る為に常に十分な準備をしておくべきだと言う事を学んだ。
外国支配者の排除の必要性について、考える事を学んだ。
リークアンユー(初代首相)
「我が同僚(ともに働いた閣僚)たちは第2次世界大戦と日本の占領を体験した若い世代に属するものであり、だれもー日本人も、イギリス人もー我々を虐待したり酷使したりする権利は持っていないのだ。ということを決心するようになりました。自らの手で自らを治め、そして我々の子供を育てていくことが可能であると心に決めました。そのような国であってこそ、我々は自尊心ある国民であり得るのです」
日本に反抗した中国人に献金を出させるという罰を課した。
シンガポール、マラヤの中国人社会に対して献金の集金が強いられ、5000万ドルが日本に支払われた。彼らは金を集める為家を売りだしても誰もそれらを買おうとせず、2900万ドルしか集められず、残りは日本の銀行から借りねばならなかった。
ケンペイタイの恐怖
スパイによって日本軍に通報されたものはケンペイタイに連れて行かれ、拷問を受けた。一般的な拷問のひとつは「水責め」であった。とらわれた人は寝かせられ大量の水が鼻から口から流し込まれた、この仕打ちを数週間繰り返し行われた。
食料供給不足と闇市
日本軍がシンガポールを占領した時点では、都市周辺の倉庫には蓄えが二〜3年分は十分持ちこたえられるほど、多量にあった。しかし日本軍はこれらの貯えを取り上げ
、シンガポールの人々にはほとんど残らなかった。
米価格は1941年12月60kgにつき5ドルであったものが1944年3月には200ドル 1945年6月には5000ドルにまで高騰した。
日本人は何でも持っていた、なぜなら、当事使用されていた紙幣は「バナナ紙幣」と呼ばれる日本軍が発行した軍票(1941年12月12日決定の「南方経済対策要綱」に基ずき占領地通貨表示の軍票を発行=正貨準備なく事実上は無価値な紙幣)を好きなだけ印刷し流通させた。その結果シンガポールの外交貿易を行き詰まらせ諸外国との貿易は無に等しくなって行った。
食料不足にともなって、配給制が行われるようなり、米は男性一人につき4.8kg(月)女性は3.6kg子供は2.4kgだけが配給された。1944年初頭には減らされた。栄養不足から多くの人々はベイベリ(脚気)結核、マラリアで悩まされ、また、薬品の不足から死んでいった。
自由の制約
日本軍は英語で話される映画を観ることを禁止した。
新聞、ラジオ放送を監督下においた。
抗日グループ
多数の若者が日本と戦う為に反日ゲリラグループに加わった。
ゲリラグループの指導者リン、ポーセン(華僑抗日義勇隊長)
マレー人民抗日軍(MPAJA)=数千人の中国人、マレー人、インド人
、マラヤ共産党が指揮する。イギリス軍がゲリラの訓練をしていた、これは再度イギリスが再征服する為に準備していた。
日本の占領からの教訓
国家や国民は敵から国を守る為に常に十分な準備をしておくべきだと言う事を学んだ。
外国支配者の排除の必要性について、考える事を学んだ。
リークアンユー(初代首相)
「我が同僚(ともに働いた閣僚)たちは第2次世界大戦と日本の占領を体験した若い世代に属するものであり、だれもー日本人も、イギリス人もー我々を虐待したり酷使したりする権利は持っていないのだ。ということを決心するようになりました。自らの手で自らを治め、そして我々の子供を育てていくことが可能であると心に決めました。そのような国であってこそ、我々は自尊心ある国民であり得るのです」
これは メッセージ 22613 (yominokuni56 さん)への返信です.