南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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シンガポールの教科書に、日本軍もその昔は

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/20 07:20 投稿番号: [22613 / 41162]
シンガポールの教科書
*「現代シンガポール社会経済史」(英語)
中学初級歴史   ロングマン出版社

1. マラヤおよびシンガポールにおけるイギリス軍の敗北
1941年12月8日日本軍はタイ南部の東海岸およびマラヤ北部の東海岸に上陸した。マラヤ北部における最初の24時間の戦闘でイギリス空軍を撃退し、飛行場を占領した。まもなく2隻の軍艦プリンス   オブ   ウェールズ   ラパルスはシンガポールから出航したが爆撃を受け、爆発   炎上   沈没した。
イギリスの防衛線クダーは15時間の戦闘の末敗北、ペナンでは日本軍の急襲爆撃によって約2000人の死者が出た。
1942年1月末ジョーホールでの戦いに敗れたイギリス、オーストラリア、インド編成部隊はシンガポールへ撤退した。
1941年12月8日コタバルに上陸、多数の日本の戦闘機がシンガポールへ向けて飛んだ。
1942年2月8日ジョホール海峡を渡り、シンガポールの北西海岸に上陸。
2月11日ブキティマ地区に到達、この島で起こった激戦でマラヤで失ったと同じくらいの兵隊を日本軍は失った。この地区の中国人志願兵は勇敢であったので後日日本軍は村で見つけた中国人男性や女性、子供を皆殺しにする復習を行った。

2月15日午後   パーシバルほか5名のイギリス軍将校はブキティマにある日本陸軍指令部の山下奉文陸軍中将に降伏する。
*シンガポールの人々は大変な衝撃を受けた。イギリス軍を信じ、自国の防衛をイギリス軍に頼っていたのに、彼らは期待を裏切ってしまった。
マラヤとシンガポールでの戦いで約12万5000人の兵を失い、多くは捕虜となった。日本軍は15000人を失った。

日本占領下のシンガポール
123年間平和に暮らしていた。日本軍が占領した3年半の間は大きな被害と困難な状況が待ちつづけていた。多くの死体の埋葬と町の清掃をイギリスとオーストラリアの捕虜が強いられていた。日本国旗を家の前に掲げさせられ、シンガポールは昭南島と名前を変えさせられた。シンガポールの人々は日本の支配化で彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々を過ごした。

イギリス人の監禁
民間人は監獄に入れられた、男も女も子供も、町からチャンギ監獄まで行進しなければならなかった。イギリスと、オーストラリア、インド兵士は軍人の捕虜収容所に送られ、多くの兵士が獄死した、また、多数の捕虜がタイとビルマの鉄道建設に送り出され約45000人が死亡したといわれている。
(タイのノンプラドックからビルマのタムピサヤまでの415km軍用鉄道42年10月開通)

中国人処罰
シンガポール在住の中国人が抗日中の中国を援助するために資金を与えていたので処罰することに全力を尽くした。すべての中国人、特に18歳から50歳までの男性は検証(適正架橋摘発と粛清の調査=適正と断じられた者は即時処分=虐殺)
される為に何箇所もの集合場所(ジャラン、プサール、パーガー)に出頭しなければならなかった。小屋も食料も飲料も与えられず何千人もの中国人が貨物自動車に乗せられ、チャンギ海岸や東海岸に連行され、グループごとに縛られ、撃たれ、銃剣で死に至るまで刺された。
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