日ソ不可侵条約 破棄の裏側 1
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/08/05 08:20 投稿番号: [20349 / 41162]
>日本政府が降伏した理由ですか?
ソ連の裏切りで降伏以外の道が閉ざされたからです。
そう?
日本の戦争指導者が間抜けだったって事なんでしょうね(笑)
ソ連の侵攻の責にしちゃ駄目でしょうね。
日ソ中立条約
1941年(昭和16年)に日本とソ連の間で締結された中立条約。相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約本文、及び、満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全と相互不可侵をうたった声明書から成る。有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた(第3条)。
締結への経緯
当時の日本はアメリカなどと関係が極端に悪化していた。当時の駐ソ連大使であった東郷茂徳は、日独伊三国軍事同盟の締結に反対し、むしろ思想問題以外の面で国益が近似する日ソ両国が連携することによって、ナチス・ドイツ・アメリカ・中華民国(蒋介石政権)の3者を牽制する事による戦争回避を考え、日ソ不可侵条約締結を模索していた。
ところが、松岡洋右が外務大臣に就任すると、構想は変質させられ、日独伊三国軍事同盟に続き、日ソ中立条約を結ぶことによりソ連を枢軸国側に引き入れ、最終的には四国による同盟を結ぶことで、国力に勝るアメリカに対抗することが目的とされた。
当初、ソ連は応じなかったものの、ドイツの対ソ侵攻計画を予見したことから提案を受諾し、1941年4月13日調印した。調印後、ソ連は極東に配備していた部隊を移動し、同年12月8日のソ連軍のドイツ東部戦線での反撃に投入した。この戦闘がドイツ敗北の遠因となる。
条約破棄
1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達した。
この背景には、ヤルタ会談にて秘密裏に対日宣戦が約束されたことがある。ポツダム会議では、原爆完成により、アメリカはソ連の参戦なくして日本を降伏させることも可能と判断しソ連参戦の回避を図ったとされる。一方、日本側はソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼していた。ソ連はこれを黙殺し密約どおり対日参戦を行うことになる。ソ連は8月8日深夜に日ソ中立条約の破棄を宣言し「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告。9日午前零時を以って戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国等へ侵攻した。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。
これは メッセージ 20342 (guripen01 さん)への返信です.
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