南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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志々目証言と称するものに対する考察

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/06/25 01:32 投稿番号: [19491 / 41162]
志々目証言と称されるものは
昭和46年に月刊「中国」に投稿されたもので、
部分的に抜き出し利用される事が多い。

実は本多勝一は「南京への道」でこの志々目証言と称されるものを引用し
そこで初めて百人斬りが捕虜の据え物斬りと述べている。
本多勝一の主張と志々目証言と称されるものは実は表裏一体なのである。
そこで志々目証言の全文をまず引用する。

(以下引用)
戦記雑誌『丸』が11月号で「日中戦争の全貌」という特集をしている。その中に当時毎日新聞社会部陸軍報道班員鈴木二郎氏の「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」という貴重な回顧録がある。
  この文章は、栄誉をかけた“百人斬り競争”として二名の青年将校が南京攻略戦の中で二百名以上の中国兵を日本刀で切り捨てたことから始まっている。ところがこの事を、私は小学校の時本人から聞いて知っていた。それは私にとって“中国体験の”はじまりでもあった。
                 *
  それは小学校卒業の一年前、昭和十四年の春だったにちがいない。生徒を前にA先生が「いちばん上級となった君たちに」といったのと、これで上級生がいなくなってせいせいするぞという解放感で気持ちが弾んでいたのとを記憶している。A先生はわが校の先輩であるというパリパリの青年士官をつれてきた。陸軍士官学校を出てまだ何年もたたないというその若い将校のキビキビした動作、ピンと前の立った士官帽をはっきりと思い出す。
  私の出た学校は鹿児島県立師範学校附属小学校。父は県庁の下級官吏で、本来この学校へこどもを出せる階級ではなかった。私も附属特有のお坊っちゃんムードが嫌いで、それに勉強も好きでなかったから、毛並みのいい級友たちとは一歩距離があった。鹿児島というところは軍人の産地で、中学で少しできる奴は身体がよければ海軍兵学校か陸軍士官学校へ進む土地柄であった。私自身その三年のちに陸軍幼年学校の生徒になったのだが、陸軍将校には特別の憧れや関心をいだいていなかった。それは、長兄の影響――日夜海軍兵学校のことを言いくらし、希望をつらぬいて江田島に入り、終戦の百日前に水上偵察飛行隊の分隊長として戦死した――を強く受けて、熱烈な海軍ファンだったからかもしれない。
  さて、小学生を前にしたN少尉(注)は、ずいぶんくつろいでいたようだ。世間でみる軍人という堅い感じは少しもなく、また私たちが数年後に自ら体験した気負いもなかったと、今にして思う。それは戦火をくぐりぬけてきた人の落ちつきであったのかもしれないが、やはり母校の小学生、身内に話しているという気軽さでもあったのだろう。たんたんと話した内輪話は、ほぼ次のようなものであった。
  「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……
  実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……
  占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……
  百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……
  二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」
  これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた。腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵・なぜ中国兵は逃げないのだろう?   反抗しないのだろう?   兵士がみんな馬鹿ということがあるだろうか。
  そのほかにも「中支戦線」や戦場生活の話を聞いた筈だが、忘れてしまっている。 「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」という言葉は今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味だそうだ。これは竹内好さんや安藤彦太郎さんたちのいう“兵隊シナ語”の一種でもあったのだ。
  その頃の私たちには、斬られた中国兵のために憤り、或いは同情する“ヒューマニズム”はなかった。その中国の兵たちにも自分のような弟がいるかもしれないなどとは、思ってもみなかった。
軍人になろうとしている兄貴を慕っていた私だから、そんな類推ができない筈はなかったのに……
  だが、白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという“勇士”の体験談は、私にはショックだった。ひどいなあ、ずるいなあ。それ以上のことは幼い自分には分らなかった。これでいいのだろうか、そんな軍と軍人で果して“聖戦”が可能なのだろうか。陸軍幼年学校に入り、国軍の生徒としての教育をうけるようになってから、そのことをあらためて思い返すようになっていた。
                 *

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