Re: deli君へヴォートリンの日記3
投稿者: mrdassennman 投稿日時: 2007/06/14 15:08 投稿番号: [19243 / 41162]
一九三八年四月
(翻訳者によるダイジェスト)
国立中央大学の付近にある模範刑務所に元兵士の嫌疑を受けて多くの民間人が入獄しているという情報をもとに、ヴォートリンの救出活動は粘り強く続けられた。南京市政府公署の顧問をつとめる許伝音博士から、収容されている民間人の釈放を求めるには新たな形式の嘆願書と名簿の提出が必要であるといわれたヴォートリンは、四日間をかけて新しい書類を作成させる。
(中略)
夫や息子を拉致された女性たちが、同刑務所からの釈放嘆願書に名前を書けば、幾重不明のままの夫や息子が戻されるのではないかという一抹の望みを託して、新たな形式で開始された嘆願の署名に、一日に数百人の割合で女性が金陵女子文理学院を訪ねてくる。
(中略)
六日の日までに、九三五名の釈放嘆願署名が集まったが、そのうち模範刑務所に収容されているのを確認できているのは一〇人にすぎなかった。嘆願者の受付時にスタッフが調査した結果では、上記の嘆願者総数のうち、二四一名の女性が、一家の働き手の男性を失って収入もなく、何人かの子どもと老人を抱えたままで絶望的な生活状況にあることが判明した。
その日の午後、たいへん美しい若い婦人が三人の子どもをつれて嘆願署名に訪れ、夫が拉致されて不明のまま、助けてくれる人もいないと悲しそうに話していった。この日で署名数は一〇三五名になった。その数字の一つ一つに夫や息子を失った女性の悲劇がこめられていた。数日後には、三ヵ月前に三人の息子を拉致されたという初老の母親が、ヴォートリンたちに会えば、なんとかして息子たちを返してもらえる方法を知っているのでないだろうかと訪ねてきた。
(「南京事件の日々」P237〜P239)
一九三八年五月〜六月初旬 (翻訳者によるダイジェスト) そんなヴォートリンにとっての朗報は、模範刑務所に捕らわれていた民間人のなかで、元兵士でないことが証明された者の釈放がようやく可能となり、六月二日、嘆願署名を作成した婦人のうち、刑務所に夫がいることが確認された者は面会にくるようにとの連絡が入ったことである。そして翌日、三〇名の男性市民が模範刑務所から釈放され、妻子、家族のもとへ帰って行った。ヴォートリンは、一月から始めた釈放嘆願署名の成功を喜ぶとともに、結局は夫や息子が戻らなかった圧倒的多数の釈放嘆願署名者の女性の失望を考えると、気持ちは複雑だった。
(「南京事件の日々」P243〜P244)
なお、「敗残兵狩り」に伴なう「市民の誤認殺害」について、東中野氏はこんな記述を行っています。
東中野修道氏「南京虐殺の徹底検証」より
歩兵第七連隊は六六七〇名の正規軍兵士を刺殺もしくは射殺した。
(中略)
もし家族の一員が兵士と誤認されて射殺されたとすれば、犠牲者の具体的氏名を挙げて、それを非難する声があがっていたことであろう。しかし、そのような国際委員会の抗議はなかった。
(P186〜P187)
「誤認殺害」の事実までを否定してしまうというのは、「否定派」の中でも、特異な見解です。これがいかに無茶な見解であるかは、ヴォートリン日記の記述を追っていくだけでも、十分にわかると思います。
(2003.5.17記)
国立中央大学の付近にある模範刑務所に元兵士の嫌疑を受けて多くの民間人が入獄しているという情報をもとに、ヴォートリンの救出活動は粘り強く続けられた。南京市政府公署の顧問をつとめる許伝音博士から、収容されている民間人の釈放を求めるには新たな形式の嘆願書と名簿の提出が必要であるといわれたヴォートリンは、四日間をかけて新しい書類を作成させる。
(中略)
夫や息子を拉致された女性たちが、同刑務所からの釈放嘆願書に名前を書けば、幾重不明のままの夫や息子が戻されるのではないかという一抹の望みを託して、新たな形式で開始された嘆願の署名に、一日に数百人の割合で女性が金陵女子文理学院を訪ねてくる。
(中略)
六日の日までに、九三五名の釈放嘆願署名が集まったが、そのうち模範刑務所に収容されているのを確認できているのは一〇人にすぎなかった。嘆願者の受付時にスタッフが調査した結果では、上記の嘆願者総数のうち、二四一名の女性が、一家の働き手の男性を失って収入もなく、何人かの子どもと老人を抱えたままで絶望的な生活状況にあることが判明した。
その日の午後、たいへん美しい若い婦人が三人の子どもをつれて嘆願署名に訪れ、夫が拉致されて不明のまま、助けてくれる人もいないと悲しそうに話していった。この日で署名数は一〇三五名になった。その数字の一つ一つに夫や息子を失った女性の悲劇がこめられていた。数日後には、三ヵ月前に三人の息子を拉致されたという初老の母親が、ヴォートリンたちに会えば、なんとかして息子たちを返してもらえる方法を知っているのでないだろうかと訪ねてきた。
(「南京事件の日々」P237〜P239)
一九三八年五月〜六月初旬 (翻訳者によるダイジェスト) そんなヴォートリンにとっての朗報は、模範刑務所に捕らわれていた民間人のなかで、元兵士でないことが証明された者の釈放がようやく可能となり、六月二日、嘆願署名を作成した婦人のうち、刑務所に夫がいることが確認された者は面会にくるようにとの連絡が入ったことである。そして翌日、三〇名の男性市民が模範刑務所から釈放され、妻子、家族のもとへ帰って行った。ヴォートリンは、一月から始めた釈放嘆願署名の成功を喜ぶとともに、結局は夫や息子が戻らなかった圧倒的多数の釈放嘆願署名者の女性の失望を考えると、気持ちは複雑だった。
(「南京事件の日々」P243〜P244)
なお、「敗残兵狩り」に伴なう「市民の誤認殺害」について、東中野氏はこんな記述を行っています。
東中野修道氏「南京虐殺の徹底検証」より
歩兵第七連隊は六六七〇名の正規軍兵士を刺殺もしくは射殺した。
(中略)
もし家族の一員が兵士と誤認されて射殺されたとすれば、犠牲者の具体的氏名を挙げて、それを非難する声があがっていたことであろう。しかし、そのような国際委員会の抗議はなかった。
(P186〜P187)
「誤認殺害」の事実までを否定してしまうというのは、「否定派」の中でも、特異な見解です。これがいかに無茶な見解であるかは、ヴォートリン日記の記述を追っていくだけでも、十分にわかると思います。
(2003.5.17記)
これは メッセージ 19242 (mrdassennman さん)への返信です.