南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 『回想録』, not 『陣中感想録』

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/02 14:11 投稿番号: [18299 / 41162]
幕府山捕虜の沈博施参謀長は雨花台、紫金山で戦ったもっとも抗日意欲旺盛な、日本軍を悩ませ多くの日本兵を失った。
しかし、沈博施少佐は処刑されず、南京戦の2週間後に設立しれた汪兆銘南京政府に起用されて、日本軍撤退後すぐに北京政府を攻略するし、国民革命軍との戦闘で功績を残している。部下を大量虐殺されて敵になびく様な将校について行く様な南京兵などいない。幕府山捕虜の沈博施教導総隊の全てが南京政府軍の傘下に入ったとしか考えられない。現実そうだから仕方が無い。蒋介石親衛隊だった沈博施が国民革命軍が北京政府国民革命軍に寝返らなかったのは、国民革命軍が南京を見捨てた以外にも日本軍の捕虜の扱いが良かったとしか言いようがない。

未聞の大捕虜群    ”殺さぬ”に狂喜し拍手喝采
句容敗戦が致命傷   沈参謀なげく
【南京にて横田特派員   十六日発】
両角部隊のため烏龍山、幕府山砲台附近の山地にて捕虜にされた一万四千七百七十七名の南京潰走敵兵は、なにしろ前代未聞の大捕虜群とて捕へた部隊の方が聊かあきれ気味で、こちらは比較にならぬほどの少数のため手が廻りきれぬ始末、まづ銃剣をすてさせ附近の兵営に押しこんだ。
一ケ師以上兵隊とて寿司づめに押しこんでも二十二棟の大兵舎があふれるばかりの大盛況、○○部隊長が「皇軍はお前達を殺さぬ」とやさしい仁慈の言葉を投げると、手をあげてをがむ、しまひには拍手かつさいして狂喜する始末で、あまりに激変する支那国民性のだらしなさにこんどは皇軍の方で顔まけの態だそれがみな蒋介石の親衛隊で、軍服なども整然と統一された教導総隊の連中なのだ、一番弱つたのは食事で、同隊でさへ現地で求めてゐるところへ、これだけの人間に食はせるだけでも大変だ、第一茶碗を一万五千も集めることは到底不可能なので第一夜だけはたうとう食はせることが出来なかった、部隊では早速大小行李の全駄馬をかり集めて食物をかき集めてゐる
捕虜のうち判明した将校は今までに十名ゐるが筆頭は教導総隊参謀沈博施だ、記者は同兵営保護の部隊田山隊長の紹介で捕はれの沈参謀と対面した、兵営からまる腰で出て来た沈参謀は長躯白眥、年齢わづか三十歳の好男子で、外套の襟のらつこといひ、軍服の立派さといひ、みるからに中央軍中有数な青年将校とみうけられた。南京戦に面やつれした姿も淋しく勝敗は時の運で仕方がありません、日本軍は私らの想像以上に強かつたのです、私は紫金山要塞の参謀を努めてをり、南京戦の全戦局を語る資格を持ちませんが、句容の一線が防げなかったのがそもそも失敗でした。私は奉天省生れで奉天中学の出身中国十五年(昭和七年)奉天の陸軍大学を卒業しましたが、満州事変には参加してをりません、後でいろいろ申上げます、私の心が静まるまでこれ以上きいて下さいますなとなかなかしつかりしたものだ、最後の記者が「今夜は食事を与へられるさうですよ」とつけ加へると深謝します、私に自動車と護衛さへつけて下されば、富貴山砲台の地下室に何百俵と米を蓄へてあるところにご案内します、そしたらここにゐるみなの者はもとより日本軍にも給与されることが出来ませうと頭を低くたれた
(「大阪朝日新聞」昭和十二年十二月十七日   二面   中下の三段見出し、二段記事)
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