Re: 無差別爆撃
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/04/22 13:05 投稿番号: [18119 / 41162]
〉宣戦布告なしに他国を攻撃するのは戦時国際法違反である事も皆さんよくご承知の通りです。
宣戦布告なしに攻撃したのは中国だよ。
まず盧溝橋で、次に上海で、
日本は、通州で日本人居留民260人が虐殺されたにも拘わらず、大幅に譲歩した和平案を持ちかけた。その内容は
(1) 塘沽協定の解消 (2) 梅津−何應欽協定の解消 (3) 土肥原−秦徳純協定の解消
(4) 冀察政権の解消 (5) 冀東特殊貿易の廃止 (6) 非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
(7) 華北における自由飛行の廃止 (8) 中国側が要求すれば上海停戦協定をも解消
というもの。
しかし、中国は、大山中尉の殺害によって和平会談をぶち壊した。
中国は、その前から戦争準備をし、上海の外側の非武装地帯に、ドイツ軍将校指導の下、トーチカを築き、
上海から南京に至る途中にはヒンデンブルクラインなる防御線を構築していた。
その上で、上海の外側に、遠巻きに保安隊を配置し、徐々に包囲網を狭めていた。
これには8月6日、同盟通信上海支局長の松本重治氏が遭遇している。
大山中尉は、虹橋飛行場近くの越界路で、進出して来た保安隊に遭遇して殺されたのです。
中国側の態度に危険を感じた現地海軍は、陸軍の応援を要請を要請したのですが、
米内海相は「目下、和平交渉に期待しているから」と却下。
仕方がないので海軍は、陸戦隊を1200名程増派。ところが追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、
既に日本人居留区は保安隊に包囲されていた。
そして、この日の夜、中国は上海付近の鉄道を抑えて軍用に切り換え、上海に大軍を送り込み、
12日には通称日本租界を包囲し、保安隊に取って代わった。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊四千名のみで、とても中国の大軍を相手に出来ない。
そこで改めて陸軍の派遣を要請。
またこの日、中国は上海の大河“黄浦江”に船を沈めて川を封鎖し、
次いで揚子江の江陰という所にも船を沈めて川を封鎖しました。
この為、最後の引き揚げ船は揚子江を下る事が出来ず、総領事達は一旦南京に戻り、
陸路、列車で青島に脱出せざるを得なくなったのです。
〉なお、日本軍による南京初空襲に先立ち、中国政府は南京の日本人居留人たちが無事に引き揚げる為に特別列車を用意し、護衛に憲兵40名、外交部の係官2名をつけて当時日本が占領していた青島へ向け護送しました
だって、嘘を言っちゃイカンよ。
総領事達が江陰に達した8月13日は、中国軍による上海攻撃開始の日なんだよ。
江陰で川を封鎖している中国海軍に追い返され、何も知らない総領事達は南京に戻り、
命からがら青島に脱出したんだよ。
この時、日本には、まだ、南京爆撃はおろか、上海戦の予定もなかったんだよ。
8月13日から、中国軍の上海攻撃が始まり、翌14日には、中国軍の上海無差別爆撃がはじまった。
これに激怒した、近衛首相が、暴支膺懲を宣言し、日本海軍による渡洋爆撃が敢行された。
この渡洋爆撃の目的は、中国軍の飛行場を爆撃すること。
日本陸軍は、これから準備するので、当分来れない。
だから現地住民の命を永らえる為に、飛行場を叩いて、爆撃機が来れないようにしたんだよ。
一般市民殺戮の無駄彈を使っている余裕はないよ。
それからね、9月19日には、南京爆撃を予告しているよ。
【上海発同盟】
長谷川第三艦隊司令長官は19日付を以て列国外交機関に対し「南京は支那軍略の中心なり」との理由を以て、
21日正午以後爆撃を敢行すべく、それ以前各国居留民は安全地帯に非難せしめ、
外国艦船は下関上流に停泊するよう勧告した。・・・。
とね。
自分で戦争を仕掛けておいて、被害者の日本を加害者のようにすり替えちゃイカンよ。
宣戦布告なしに攻撃したのは中国だよ。
まず盧溝橋で、次に上海で、
日本は、通州で日本人居留民260人が虐殺されたにも拘わらず、大幅に譲歩した和平案を持ちかけた。その内容は
(1) 塘沽協定の解消 (2) 梅津−何應欽協定の解消 (3) 土肥原−秦徳純協定の解消
(4) 冀察政権の解消 (5) 冀東特殊貿易の廃止 (6) 非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
(7) 華北における自由飛行の廃止 (8) 中国側が要求すれば上海停戦協定をも解消
というもの。
しかし、中国は、大山中尉の殺害によって和平会談をぶち壊した。
中国は、その前から戦争準備をし、上海の外側の非武装地帯に、ドイツ軍将校指導の下、トーチカを築き、
上海から南京に至る途中にはヒンデンブルクラインなる防御線を構築していた。
その上で、上海の外側に、遠巻きに保安隊を配置し、徐々に包囲網を狭めていた。
これには8月6日、同盟通信上海支局長の松本重治氏が遭遇している。
大山中尉は、虹橋飛行場近くの越界路で、進出して来た保安隊に遭遇して殺されたのです。
中国側の態度に危険を感じた現地海軍は、陸軍の応援を要請を要請したのですが、
米内海相は「目下、和平交渉に期待しているから」と却下。
仕方がないので海軍は、陸戦隊を1200名程増派。ところが追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、
既に日本人居留区は保安隊に包囲されていた。
そして、この日の夜、中国は上海付近の鉄道を抑えて軍用に切り換え、上海に大軍を送り込み、
12日には通称日本租界を包囲し、保安隊に取って代わった。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊四千名のみで、とても中国の大軍を相手に出来ない。
そこで改めて陸軍の派遣を要請。
またこの日、中国は上海の大河“黄浦江”に船を沈めて川を封鎖し、
次いで揚子江の江陰という所にも船を沈めて川を封鎖しました。
この為、最後の引き揚げ船は揚子江を下る事が出来ず、総領事達は一旦南京に戻り、
陸路、列車で青島に脱出せざるを得なくなったのです。
〉なお、日本軍による南京初空襲に先立ち、中国政府は南京の日本人居留人たちが無事に引き揚げる為に特別列車を用意し、護衛に憲兵40名、外交部の係官2名をつけて当時日本が占領していた青島へ向け護送しました
だって、嘘を言っちゃイカンよ。
総領事達が江陰に達した8月13日は、中国軍による上海攻撃開始の日なんだよ。
江陰で川を封鎖している中国海軍に追い返され、何も知らない総領事達は南京に戻り、
命からがら青島に脱出したんだよ。
この時、日本には、まだ、南京爆撃はおろか、上海戦の予定もなかったんだよ。
8月13日から、中国軍の上海攻撃が始まり、翌14日には、中国軍の上海無差別爆撃がはじまった。
これに激怒した、近衛首相が、暴支膺懲を宣言し、日本海軍による渡洋爆撃が敢行された。
この渡洋爆撃の目的は、中国軍の飛行場を爆撃すること。
日本陸軍は、これから準備するので、当分来れない。
だから現地住民の命を永らえる為に、飛行場を叩いて、爆撃機が来れないようにしたんだよ。
一般市民殺戮の無駄彈を使っている余裕はないよ。
それからね、9月19日には、南京爆撃を予告しているよ。
【上海発同盟】
長谷川第三艦隊司令長官は19日付を以て列国外交機関に対し「南京は支那軍略の中心なり」との理由を以て、
21日正午以後爆撃を敢行すべく、それ以前各国居留民は安全地帯に非難せしめ、
外国艦船は下関上流に停泊するよう勧告した。・・・。
とね。
自分で戦争を仕掛けておいて、被害者の日本を加害者のようにすり替えちゃイカンよ。
これは メッセージ 18102 (kanbaku9999 さん)への返信です.