石原都知事の発言とトウヘイ爺さん
投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2007/04/09 05:15 投稿番号: [17725 / 41162]
>2005年9月5日発売の産経新聞より抜粋:
石原都知事の発言
「歴史に関する、ことのメリハリ」
この記事は、トウヘイ爺さんかだれかが、ここかよそで以前出したものでちょっと議論された(特に東條のピストル自殺の件)という記憶がある。この記事に関しては石原は全体的に認識不足、浅薄杜撰だと思う。少なくとも疑問に思うところがいくつかある。その、二、三。
>太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという。そうした、兵站(へいたん)という戦争の原理を無視した戦を遂行した責任者の罪を一体誰が裁くべきなのか。それは国民自身に他なるまい。
そりゃそうだろう。東條も供述書かなにかで(無理な戦争で国民を苦しめたあげく)敗戦した責任、国民に対する責任は自分(たち指導者)にあると言っているのではないか。彼が否定したのは東京裁判で出てきた平和に対する罪とか人道に対する罪とかいう事後法的国際法だろう。
戦争責任の問題は、タイムスパン、渦中か事後かなどによって判断が違ってくるだろう。事後的には戦争回避のチャンスはいくつか(いくつも?)あったといわれている。
合理に徹すれば、事後も渦中もない、勝ち目のない戦争は絶対やってはいけないのだとさえなるだろう。勝ち目のない無謀な戦争を遂行した者の責任を問えということになる。
しかし、文字通り無数の要因(因縁)が錯綜する歴史的文脈のなか(渦中)で結局あのような成り行き結果になったのは天皇や東條など指導者だけの責任ではなく、大きく日本人のメンタリティーに原因があると思う。合理に徹することができるような国民性、メンタリティーであったなら、はじめから戦争回避のチャンスを活用していただろう。
石原が日本人のメンタリティーのある重要な面(結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され)をついているのはいいとして、単に合理主義的な観点から気楽に日本人のみを取り出して裁断しているようなのは浅薄無思慮だと思う。メンタリティーは日本人だけの問題ではない。
>この国にあの多くの犠牲をもたらした戦争遂行の責任を、一体誰と誰が問われるべきなのかということが、棚上げされてしまった
>我々はあの戦争の責任者の存在について、あの裁判の正当性を非難することだけですむのだろうか。
当然すまない。といって東京裁判の不当性を忘れ去っていいことにもならない。石原はここが単細胞的だ。多くの戦争がそうであるように、大東亜戦争は経済的要因が大きかったようだが、文化(メンタリティー)的要因も大きかったと思う。そして両者は複雑微妙に連動しているものでもあると思う。
単にスパンを短く取れば、勝ち目のない無謀な戦争を始め(というより巻き込まれ)降伏の潮時を見誤り無下に長引かせた責任は当然天皇や指導者にあるとなるだろう。が、このような表面的な成り行き結果の隠れた動因であるメンタリティーというものは昨日今日できたものではなく、右から左に簡単に変えられるものではない。そしてこのメンタリティーとは単に日本人だけの問題ではなく、戦争に関与した朝鮮人、シナ人、欧米人などの問題でもあるのだ。石原の批判はいかにも合理的でもっともだが、このような長いスパン、大きな視野を無視捨象した短絡的で杜撰なものだ。
どうだ石原のような右翼的な政治家でさえこう言ってるだろうとでも言いたいのだろうが、石原の浅薄杜撰な記事で鬼の首をとったように有頂天になるからトウヘイ爺さんはだめなのだ。もっと勉強して出直してきなさい。
石原都知事の発言
「歴史に関する、ことのメリハリ」
この記事は、トウヘイ爺さんかだれかが、ここかよそで以前出したものでちょっと議論された(特に東條のピストル自殺の件)という記憶がある。この記事に関しては石原は全体的に認識不足、浅薄杜撰だと思う。少なくとも疑問に思うところがいくつかある。その、二、三。
>太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという。そうした、兵站(へいたん)という戦争の原理を無視した戦を遂行した責任者の罪を一体誰が裁くべきなのか。それは国民自身に他なるまい。
そりゃそうだろう。東條も供述書かなにかで(無理な戦争で国民を苦しめたあげく)敗戦した責任、国民に対する責任は自分(たち指導者)にあると言っているのではないか。彼が否定したのは東京裁判で出てきた平和に対する罪とか人道に対する罪とかいう事後法的国際法だろう。
戦争責任の問題は、タイムスパン、渦中か事後かなどによって判断が違ってくるだろう。事後的には戦争回避のチャンスはいくつか(いくつも?)あったといわれている。
合理に徹すれば、事後も渦中もない、勝ち目のない戦争は絶対やってはいけないのだとさえなるだろう。勝ち目のない無謀な戦争を遂行した者の責任を問えということになる。
しかし、文字通り無数の要因(因縁)が錯綜する歴史的文脈のなか(渦中)で結局あのような成り行き結果になったのは天皇や東條など指導者だけの責任ではなく、大きく日本人のメンタリティーに原因があると思う。合理に徹することができるような国民性、メンタリティーであったなら、はじめから戦争回避のチャンスを活用していただろう。
石原が日本人のメンタリティーのある重要な面(結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され)をついているのはいいとして、単に合理主義的な観点から気楽に日本人のみを取り出して裁断しているようなのは浅薄無思慮だと思う。メンタリティーは日本人だけの問題ではない。
>この国にあの多くの犠牲をもたらした戦争遂行の責任を、一体誰と誰が問われるべきなのかということが、棚上げされてしまった
>我々はあの戦争の責任者の存在について、あの裁判の正当性を非難することだけですむのだろうか。
当然すまない。といって東京裁判の不当性を忘れ去っていいことにもならない。石原はここが単細胞的だ。多くの戦争がそうであるように、大東亜戦争は経済的要因が大きかったようだが、文化(メンタリティー)的要因も大きかったと思う。そして両者は複雑微妙に連動しているものでもあると思う。
単にスパンを短く取れば、勝ち目のない無謀な戦争を始め(というより巻き込まれ)降伏の潮時を見誤り無下に長引かせた責任は当然天皇や指導者にあるとなるだろう。が、このような表面的な成り行き結果の隠れた動因であるメンタリティーというものは昨日今日できたものではなく、右から左に簡単に変えられるものではない。そしてこのメンタリティーとは単に日本人だけの問題ではなく、戦争に関与した朝鮮人、シナ人、欧米人などの問題でもあるのだ。石原の批判はいかにも合理的でもっともだが、このような長いスパン、大きな視野を無視捨象した短絡的で杜撰なものだ。
どうだ石原のような右翼的な政治家でさえこう言ってるだろうとでも言いたいのだろうが、石原の浅薄杜撰な記事で鬼の首をとったように有頂天になるからトウヘイ爺さんはだめなのだ。もっと勉強して出直してきなさい。
これは メッセージ 17709 (fukagawatohei さん)への返信です.