南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 泣いて怒った松井大将

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/03/12 10:32 投稿番号: [17060 / 41162]
中支派遣軍司令官の任を解かれ、南京入城の凱旋将軍として東京に帰ったが、松井大将は快々として楽しまなかった。アジアの内乱ともいうべきこの不幸な戦争で倒れた日中両国の犠牲者を弔うために、わざわざ人を派して、最大の激戦地である大場鎮の土をとりよせ、これで一基の観音像を作った。これを、熱海市伊豆山の中腹にまつり「興亜観音」と称した。その御堂には、日中両民族が手をとりあって、観世音の御光の中に楽土を建設している壁画を何枚かかかげ、みずから堂守りとなって、そこに隠棲した。読経三昧の静かな明け暮れであった。


東京裁判において提出された証拠にもとずいてパール判決の意見。

(1)、1937年12月1日、大本営は中支方面軍に対して、海軍と協力して南京を攻略せよと命令した。
(2)、当時、病気中であった松井大将は、南京から140哩離れた蘇州において、参謀と協議のうえ病床でこれを決裁した。
(3)、12月7日、上海派遣軍に対して別の司令官が任命された。すなわち方面軍の任務は麾下の上海派遣軍と第10軍との指揮を統一するにあって、軍隊の実際の操作および指揮は各軍の司令官によって行われた。
(4)、各軍司令官には参謀および副官のほかに兵器部、軍医部および法務部などがあったが、方面軍にはさような部は無かった。
(5)、それでも松井大将は南京攻略を前にして、全軍に対し「南京は中国の首都である。これが攻撃は世界的事件である故に、慎重に研究して日本の名誉一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。・・・でき得るかぎり一般居留民ならびに中国民衆を紛争に巻き込まざるように常に留意し、誤解を避けるため外国出先当局と密接なる連絡を保持せよ」と詳細なる訓令を出した。塚田参謀長ほか16名の参謀は先の訓令を全軍に伝えた。
(6)、前記の訓令と同時に「南京城の攻略および入城に関する注意事項」が伝達された。それには軍規風紀の厳正を伝え、外国の権益を犯したもの、略奪行為や、火を失する者は厳重に処罰すべしと命じた。
(7)、12月13日南京は陥落し、病気中の松井大将は12月17日に入城した。そして軍規風紀に違反のあった旨の報告を受けた。
(8)、そこで松井大将は、軍規風紀に違反した第10軍を蕪湖方面に引き返させ、南京警備のため第16師団のみを残留させた。そしてさらに、さきの命令の厳重なる実施を命じた。

中国戦線で戦況が膠着状態に入り、兵士の士気は落ち、ろくな軍教育も受けず徴兵された兵士も多くなり放火、略奪、婦女暴行といった軍法会議犯罪者が続出した。軍紀建て直しの必要性を感じた陸軍は、「盗むな」「殺すな」「犯すな」を徹底させ、規律ある軍人となるような方法を模索していた。ただ、「強姦してはならない」などと、とても勅語に書けないので、勅語ではなく戦陣訓という形で陸軍のみに発布した。占領を伴わない海軍では採用されていない。

戦陣訓
本訓   戦陣の戒(文中)
・敵及住民を軽侮するを止めよ。
・敵産、敵資の保護に留意するを要す。徴発、押収、物資の燼滅等は規定に従ひ、必ず指揮官の命に依るべし。
・皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし。
・戦陣苟も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし。
・怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。
・遙かに思を父母妻子の真情に馳せ、仮初(かりそめ)にも身を罪科に曝すこと勿れ。
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