日米の国力の差
投稿者: kanbaku9999 投稿日時: 2007/03/10 16:29 投稿番号: [16987 / 41162]
対米戦は海軍が主になるが、ワシントン軍縮会議の5・5・3の比率に不満でロンドン会議では7割を主張し、実質的に獲得したにも拘わらず(69.725%)統帥権干犯というバカバカしい騒ぎを起こした。
開戦時には空母などは日本の方が優勢だったが、戦争が始まっても比率をそのままにしておいてね、とアメリカに頼んだらよかったのでしょうか?
まさかアメリカ相手に限定戦が出来たと思ってるんじゃないでしょうね、というか、ベトナム戦争なんかを持ち出して何を言ってるのかさっぱり分かりません。
開戦後就役させた軍艦はアメリカは空母を137隻、日本15隻、戦艦8:2、巡洋艦46:5、駆逐艦500:30。 アメリカ相手に限定戦が出来た思ってるのですか? 長期の全面戦争になる事は分かりきっていた。 それを無視して負けるわけない、とこちらから掛かっていって散々な目にあった。 みっともないで済まないね。 310万の日本人が死んだんだから。
>人肉食については伝聞が数カ所、1箇所だけ目撃談とも読める箇所があるが、「見せられたり聞かせられたり」という書き方で明確な表現ではなかったな。
それだけあれば十分ですよ。これを読んでいる皆さん、ご自分で読んで判断して下さい。 とてもよく書けた本です。八紘一宇とか大東亜共栄圏がいかに空しい標語だったかが分かります。
「同じ幕舎にホロ島の生存者がいた、、、食料がないので友軍同士その肉を食い合ったと言う」 「友軍を殺して糧秣や肉を食った者などもいるので、、、」 「子供は足手まといになり、、、赤子や子供を毒殺したり刺し殺したりした」 「栄養失調で死ぬものが続出した。朝起きたら隣の男が死んでいたというような事もあり、、、」 「小室部隊はこの頃すでに食物を食いつくしていたので餓死者、追いはぎ、食人種が出たのは無理はない」 「母親が先に死んで子供がいつまでも死骸にかじりついていて、食を与えても食べようとはせず、ついには死んでいく」 「兵団の渡辺参謀は、、、山の陣地に女を連れ込み、その女の沢山の荷物を兵隊に担がせ、不平をいう兵隊を殴り倒していた」 「人肉を食べん人でも機会があれば食べてやろうと言う考えを持ち出し、それが誰も不思議とも不道徳とも考えなくなっていた事は事実だ」 「我々のいた谷から御嶽への上り口には死屍るいるいとし、死にかけの者、観念して念仏を唱えているもの、、、」 「悪質の者は糧秣運搬の他の部隊の兵をおどしあげて追いはぎをやったり射殺して切り殺して食っていた」 「もはや友軍同士の友情とか助け合い信頼と言うような事は零となり、、、」 「悲惨だったのは特攻隊の飛行士が夕方カラの飯ごうを持って我々のところへ来て、銃でも刀でも質におくから一食分の米を貸してくれという。我々も人に貸す米などなかったが、余り気の毒なのでもみぬかを与えた。泣きながら近くの天幕に帰っていった」
この様な描写が沢山あります。 命令を忠実に守り勇敢に戦った兵士をこんな目に合わせたのはあなたが尊敬してやまない当時の大日本帝国の指導者たちですよ。 人肉を食った日本兵を非難する事は出来ない。 こんな事を続けさせて上層部は一体どうするつもりだったのか。 戦争があと半年も続いたらニューギニアやフィリピンの日本軍の生き残りはみんな餓死していた。 日本軍は全員餓死して消えてなくなるまで降伏しなかったでしょうな。 あ、全員ではない、上層部は生き残るのです、東條閣下みたいに。 限定戦争だの総力戦争だのと抽象的な観念の遊びではないのですよ、戦争は。
>鈴木首相の「草の根を食べても生き抜け」という指示で決死の覚悟が無くなった、とも書かれていたな
あんな耄碌した爺さんを引き合いに出すのですか。 鈴木貫太郎首相はポツダム宣言を蹴飛ばし、結局は受け入れて降伏するまでの3週間の間に原爆を落とされソ連を侵入させた原因を作った張本人ですよ。
ハル・ノートねえ、、、図太くかまえて時間稼ぎをする知恵も勇気もなかった。 対応の仕方について色々本が出ているので勉強しなさい。 日本政府が受け取ったのは昭和16年11月27日。 日本海軍の機動部隊がハワイに向けて単冠湾を出撃していったのはいつか知っていますか? そしてその時点ではすでに陸軍の大部隊をのせた輸送船団が南方を目指して航行していた。 負けるに決まった戦争をしたくてしたくて仕方がなかったのですよ、東條さんたちは。
開戦後就役させた軍艦はアメリカは空母を137隻、日本15隻、戦艦8:2、巡洋艦46:5、駆逐艦500:30。 アメリカ相手に限定戦が出来た思ってるのですか? 長期の全面戦争になる事は分かりきっていた。 それを無視して負けるわけない、とこちらから掛かっていって散々な目にあった。 みっともないで済まないね。 310万の日本人が死んだんだから。
>人肉食については伝聞が数カ所、1箇所だけ目撃談とも読める箇所があるが、「見せられたり聞かせられたり」という書き方で明確な表現ではなかったな。
それだけあれば十分ですよ。これを読んでいる皆さん、ご自分で読んで判断して下さい。 とてもよく書けた本です。八紘一宇とか大東亜共栄圏がいかに空しい標語だったかが分かります。
「同じ幕舎にホロ島の生存者がいた、、、食料がないので友軍同士その肉を食い合ったと言う」 「友軍を殺して糧秣や肉を食った者などもいるので、、、」 「子供は足手まといになり、、、赤子や子供を毒殺したり刺し殺したりした」 「栄養失調で死ぬものが続出した。朝起きたら隣の男が死んでいたというような事もあり、、、」 「小室部隊はこの頃すでに食物を食いつくしていたので餓死者、追いはぎ、食人種が出たのは無理はない」 「母親が先に死んで子供がいつまでも死骸にかじりついていて、食を与えても食べようとはせず、ついには死んでいく」 「兵団の渡辺参謀は、、、山の陣地に女を連れ込み、その女の沢山の荷物を兵隊に担がせ、不平をいう兵隊を殴り倒していた」 「人肉を食べん人でも機会があれば食べてやろうと言う考えを持ち出し、それが誰も不思議とも不道徳とも考えなくなっていた事は事実だ」 「我々のいた谷から御嶽への上り口には死屍るいるいとし、死にかけの者、観念して念仏を唱えているもの、、、」 「悪質の者は糧秣運搬の他の部隊の兵をおどしあげて追いはぎをやったり射殺して切り殺して食っていた」 「もはや友軍同士の友情とか助け合い信頼と言うような事は零となり、、、」 「悲惨だったのは特攻隊の飛行士が夕方カラの飯ごうを持って我々のところへ来て、銃でも刀でも質におくから一食分の米を貸してくれという。我々も人に貸す米などなかったが、余り気の毒なのでもみぬかを与えた。泣きながら近くの天幕に帰っていった」
この様な描写が沢山あります。 命令を忠実に守り勇敢に戦った兵士をこんな目に合わせたのはあなたが尊敬してやまない当時の大日本帝国の指導者たちですよ。 人肉を食った日本兵を非難する事は出来ない。 こんな事を続けさせて上層部は一体どうするつもりだったのか。 戦争があと半年も続いたらニューギニアやフィリピンの日本軍の生き残りはみんな餓死していた。 日本軍は全員餓死して消えてなくなるまで降伏しなかったでしょうな。 あ、全員ではない、上層部は生き残るのです、東條閣下みたいに。 限定戦争だの総力戦争だのと抽象的な観念の遊びではないのですよ、戦争は。
>鈴木首相の「草の根を食べても生き抜け」という指示で決死の覚悟が無くなった、とも書かれていたな
あんな耄碌した爺さんを引き合いに出すのですか。 鈴木貫太郎首相はポツダム宣言を蹴飛ばし、結局は受け入れて降伏するまでの3週間の間に原爆を落とされソ連を侵入させた原因を作った張本人ですよ。
ハル・ノートねえ、、、図太くかまえて時間稼ぎをする知恵も勇気もなかった。 対応の仕方について色々本が出ているので勉強しなさい。 日本政府が受け取ったのは昭和16年11月27日。 日本海軍の機動部隊がハワイに向けて単冠湾を出撃していったのはいつか知っていますか? そしてその時点ではすでに陸軍の大部隊をのせた輸送船団が南方を目指して航行していた。 負けるに決まった戦争をしたくてしたくて仕方がなかったのですよ、東條さんたちは。
これは メッセージ 16982 (nmwgip さん)への返信です.