Re: 偽証だろ
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2007/02/26 00:29 投稿番号: [16653 / 41162]
> あんたは、百人斬りのマヌケ少尉が日本の小学校で自分の武勇伝を、子供達の前で、聞かせた事実は、当然知ってるよな。
> このマヌケ少尉は子供達にデタラメのホラ話をしたのか、それとも本当の事を、しゃべったのか、どっちだと思う?
「子供達の前で、聞かせた事実」が偽証だと思うがね。
以下に挙げたのは裁判の中で、志々目証言に関連して、同じ時に野田少尉の話を聞いたという人達の証言だ。残念ながら、本多シンパのウェブサイトからの転写なので信憑性はいまいちなのだが。(何故なら、裁判例として公開されていない判決文は当事者以外閲覧はできても複写はできないはずだから。これだけ長文の判決を全て手書きで写したとは考え難い)
『「之だけはと思い,野田少尉の事だけは,私の私見ですが伝へておこうと思って次に書いておきます。野田少尉は,戦争の犠牲者と云うより,マスコミの犠牲者と云った方が正しい様な気がします。野田少尉の話は,附属の裁縫室でありました。私たちの組だけでした。上海上陸から南京攻略迄の話,色々の苦労話が主だったのですが,捕虜を切った話もありました。彼が出鱈目に捕虜を切ったわけではないのです。多数の捕虜の中には逃亡を企てる奴等は必ずいる。他の捕虜の見せしめの為には處罰しなければならない。その様な連中を切ったのです。それも百人もと云う多人数ではないと思います。彼が日本刀を抜いて見せた時,歯こぼれが沢山していて,何とかいう名刀も,こんなに歯こぼれがしては使いものにならない。日本刀は,実際の所,実戦では役にたゝない。支那兵は厚い綿入を着ているので,切りつけてもはねかえされてしまう。捕虜を何人か切ったけど,骨迄切り落す事は非常にむつかしい。骨にあたると,此の様に歯がかげてしまう。実際問題として,日本刀は役にたゝない。」』
『志々目彰と同じ小学校で野田少尉の話を聞いたことがあるとした上,百人斬ったという話や捕虜を斬ったという話を聞いていないこと,志々目彰が聞いたとされる話を聞いていないことなどを述べている』
『鹿児島一中において野田少尉の話を聞いたことがあること,その話が,「百人斬りの英雄ということで有名になったが,自分は決してそういうものではない。迷惑で心外である。百人斬りなんて無茶なことができるわけはない。白兵戦なんていうのはめったにおこるものではない。」という内容であったことを覚えている』
『田代小学校4年生のころ,野田少尉の話を聞いたことがあること,その際,印象に残っているのは,延々と続く高梁畑を進軍中に,敵弾を浴び,高梁の穂が銃弾で折れてぶら下がっている中での進軍であったとの話であり,敵と渡り合って切り結んだというような話は全然出てこなかった』
志々目証言は野田少尉が
「・・・・占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから,ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る・・・・」
という講演をした、というものだが、これと似た話は太田供述書の虚偽を曝いた梶谷日記の中にも出てくる。但し、その内容は全く逆だが。
以下、『南京裁判資料集Ⅱ』に収録された『梶谷健郎日記』12月9日分より引用。
『・・・・正午ころ東□村附近にて道を尋ねんとせしが、皆逃走して誰も居らず。折から水田中、膝まで没して逃走中の支那女を発見。トンヤンピン□□□□ニーライライと呼べど振り反りつつも尚逃走せるにより、距離三百メートルにして一発射てばヨロヨロと水中に倒れ、再び起たず遂に死せり。・・・・』
ニーライライ、と呼びかけられたところまでは同じだが、さて、どちらが人間として正常な反応か、考えるまでもないと思うがねぇ。
> このマヌケ少尉は子供達にデタラメのホラ話をしたのか、それとも本当の事を、しゃべったのか、どっちだと思う?
「子供達の前で、聞かせた事実」が偽証だと思うがね。
以下に挙げたのは裁判の中で、志々目証言に関連して、同じ時に野田少尉の話を聞いたという人達の証言だ。残念ながら、本多シンパのウェブサイトからの転写なので信憑性はいまいちなのだが。(何故なら、裁判例として公開されていない判決文は当事者以外閲覧はできても複写はできないはずだから。これだけ長文の判決を全て手書きで写したとは考え難い)
『「之だけはと思い,野田少尉の事だけは,私の私見ですが伝へておこうと思って次に書いておきます。野田少尉は,戦争の犠牲者と云うより,マスコミの犠牲者と云った方が正しい様な気がします。野田少尉の話は,附属の裁縫室でありました。私たちの組だけでした。上海上陸から南京攻略迄の話,色々の苦労話が主だったのですが,捕虜を切った話もありました。彼が出鱈目に捕虜を切ったわけではないのです。多数の捕虜の中には逃亡を企てる奴等は必ずいる。他の捕虜の見せしめの為には處罰しなければならない。その様な連中を切ったのです。それも百人もと云う多人数ではないと思います。彼が日本刀を抜いて見せた時,歯こぼれが沢山していて,何とかいう名刀も,こんなに歯こぼれがしては使いものにならない。日本刀は,実際の所,実戦では役にたゝない。支那兵は厚い綿入を着ているので,切りつけてもはねかえされてしまう。捕虜を何人か切ったけど,骨迄切り落す事は非常にむつかしい。骨にあたると,此の様に歯がかげてしまう。実際問題として,日本刀は役にたゝない。」』
『志々目彰と同じ小学校で野田少尉の話を聞いたことがあるとした上,百人斬ったという話や捕虜を斬ったという話を聞いていないこと,志々目彰が聞いたとされる話を聞いていないことなどを述べている』
『鹿児島一中において野田少尉の話を聞いたことがあること,その話が,「百人斬りの英雄ということで有名になったが,自分は決してそういうものではない。迷惑で心外である。百人斬りなんて無茶なことができるわけはない。白兵戦なんていうのはめったにおこるものではない。」という内容であったことを覚えている』
『田代小学校4年生のころ,野田少尉の話を聞いたことがあること,その際,印象に残っているのは,延々と続く高梁畑を進軍中に,敵弾を浴び,高梁の穂が銃弾で折れてぶら下がっている中での進軍であったとの話であり,敵と渡り合って切り結んだというような話は全然出てこなかった』
志々目証言は野田少尉が
「・・・・占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから,ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る・・・・」
という講演をした、というものだが、これと似た話は太田供述書の虚偽を曝いた梶谷日記の中にも出てくる。但し、その内容は全く逆だが。
以下、『南京裁判資料集Ⅱ』に収録された『梶谷健郎日記』12月9日分より引用。
『・・・・正午ころ東□村附近にて道を尋ねんとせしが、皆逃走して誰も居らず。折から水田中、膝まで没して逃走中の支那女を発見。トンヤンピン□□□□ニーライライと呼べど振り反りつつも尚逃走せるにより、距離三百メートルにして一発射てばヨロヨロと水中に倒れ、再び起たず遂に死せり。・・・・』
ニーライライ、と呼びかけられたところまでは同じだが、さて、どちらが人間として正常な反応か、考えるまでもないと思うがねぇ。
これは メッセージ 16639 (fukagawatohei さん)への返信です.