南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 塘沽協定は1933年5月31日  だよ。

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/02/23 01:58 投稿番号: [16576 / 41162]
>>>この協定によって国民政府(中国国民党)は事実上満州国の建国を認めたばかりか華北における主権の一部を喪失する結果となってしまい、


>>そのとおり!
>>良く勉強したね。
>>塘沽協定によって支那・国民政府は、満州国を承認したのだ。
>>ここまで勉強して理解できれば、大したもんだ。


>ソウよ(笑)


そうか。
ならヨロシイ。




>11月8日土肥原賢二は天津で暴動を起こし、その混乱に紛れて溥儀を連れ出し、営口に向かう、そこには大杉栄夫妻を虐殺した甘粕正彦が待ちうけ、溥儀は軟禁され、やがて、満州国の執政に擁立される。


溥儀帝の満州行は自由意志

  11月13日に私が上海に帰ったとき、ある非公式の電報により帝は天津を去って満州に向われた事を知った。支那人は、日本人が帝の意思に逆らってその身を奪い誘拐し去ったものだという風に知らせんと努めた。この話は欧州人間に広く流布され、多くの人々はそれを信じた。しかしそれは全然でたらめであった。帝並に妃が南京の蒋介石と、北京の張学良にあてて、彼等の忠誠を求め、避難所を要求する電報を打ったという事を最近実際に発表した驚くべき話も、同様に偽である。帝は又満州の国主となる事を承諾されない内に自殺し様と、妃と誓を結ばれたとか言う事も勝手にいいたてられた。帝が避難所を求められたかも知れない世界中で最後の人物は、蒋介石や張学良ではない、という事をいう必要はあるまい。尚仮令、皇帝が満州へ奪衣誘拐される危険から逃れる事を欲して居られたなら、彼がなさねばならぬ全ての事は上海行きの英国船へ上船されて行かれる事であるのはいうまでもない。帝に忠実とその身をささげた鄭考胥の様な人が帝の獄卒であるという様な事は全く
絶対に、あり得べからざる事である。帝が天津を去って満州へ行かれたのは御自身の自由意志である。帝の信頼のあつい同伴者は現在国務総理の鄭考胥とその息子であったのである
(656項)
『東京裁判却下未提出弁護側資料』小堀桂一郎監修(国書刊行会)



  東京裁判において、検察側は、溥儀を証人として呼んで証言させた。彼は、「満州国の建設は全く日本軍の脅しによるもの」であり、「自分はしぶしぶ従った」「私の行動はすべて日本の脅迫である」と証言した。ソ連に抑留され、身の危険を感じていた溥儀は、ただただ自己弁護に努め、偽証したのである。

  これに対し、弁護側(日本国)は、満州国独立とその手続きとしての清王朝復辟運動は、満州の住民の間に生じた自発的な運動であり、日本の謀略に発するものではないことを立証しようとした。辛亥革命後の中国は、無政府状態に近い混乱を呈し、軍閥相互の内戦が続き、住民は悪政に苦しんでいた。大正15年(1926)には既に清朝の「ラストエンペラー」であった宣統帝溥儀を擁立して、君主国を復活させようという動きが各地に生じていたのである。

  この事実が立証されると、検察側にとっては、満州国政府は関東軍によって作られた傀儡政権にすぎなかったという起訴状の筋書きが崩れてしまう。そこで、不利な証拠はすべて、証拠能力なし、重要性なしとして却下されたのである。その却下された最も重要な資料こそ、『紫禁城の黄昏』である。

  ジョンストンは、溥儀の身近で激動の歴史を見てきた目撃者である。また彼はイギリス人として中立的な立場で日中関係を見ていた。それゆえに、『紫禁城の黄昏』は、検察側には極めて不利となる内容を含んでいるので、不採用とされたのである。

■満州国建国の真相――『紫禁城の黄昏』
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06.htm#_■満州国建国の真相――『紫禁城の黄昏』
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