Re: 「どこの連隊に、」<中国人の残虐さ
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2007/02/18 13:48 投稿番号: [16468 / 41162]
■ 中国の狂気4:残虐な拷問と大量粛清
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1930年、毛沢東は江西省“ソビエト根拠地”で大規模な革命恐怖を引き起こした。つまり、AB団粛清運動であった。数千名の紅軍と根拠地にいる党員と青年団団員、一般庶民が無念にも殺された。当時、江西ソビエト根拠地で毛沢東の権威が確立したばかりだったが、李文林を始めとする江西省西南地域の紅軍と党組織の反対に遭った。毛沢東は自らの権威と意思に抵抗する如何なる組織的な反対勢力をも容認することができず、極端な手段で自分と異なる考えを持っていると疑われた党内の同士を弾圧した。毛沢東は「AB団を粛清する」環境を整えるために、わざと自分の直属部隊を対象にまず粛清した。11月下旬から12月中旬にかけて、紅一軍[9]で「迅速粛清」を行った。各師、団、営、連、排で粛清組織を作り、地主や裕福階級出身の党員と不満を持つ人々を処刑した。一ヶ月も経たないうちに、四万人あまりの紅軍の中から四千四百名以上の「AB団」メンバーが探し出され、中に「数十名の団長」(「AB団」の総団長)がおり、全部殺害された。
続いて、毛沢東は“ソビエト根拠地”にいる自身に対して異議を持つ人々に対する粛清を始めた。1930年12月紅一軍政治部事務局長兼粛清委員会主席の李韶九を江西省ソビエト政府所在地富田に派遣し、江西省行動委員会と紅二十軍の八名の上層幹部段良弼、李白芳などを逮捕し、様々な拷問を施した。殴られた人は「身体に傷だらけで、指が折れてしまい、体中火傷でただれ、動くこともできない」。当時の資料によると、被害者の「悲鳴が響き渡り、途絶えることはない。残酷な拷問方法が使い尽くされた」という。12月8日、李白芳、馬銘、周冕の妻らは拘禁中の夫に面会に来た時、「AB団」のメンバーとして捕えられ、拷問された。「地雷公で手を叩き、お香で身体を焼き、火で局部を焼き、ナイフで乳房を切り取る」。残酷な拷問に遭い、段良弼は李文林、金万邦、劉敵、周冕、馬銘が「AB団の幹部」であると証言し、更に紅軍学校の中に「たくさんのAB団メンバーがいる」と言った。12月7日から12日夜まで、わずか五日間の間、李韶九らは富田から「AB団」百二十名あまりのメンバーと幹部数十名を探し出し、四十数名の人を処刑した。彼らの残虐極まりない行動は最終的に、1930年12月12日、“ソビエト根拠地”を驚かせた「富田事変」を引き起こした。
(高華『毛沢東在江西蘇区「粛AB団」的歴史考察』を参照)
これは メッセージ 16452 (totoro_ootoro3 さん)への返信です.
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