Re: 不思議な、、、
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/02/15 21:12 投稿番号: [16401 / 41162]
>実に不思議な事を言いますねえ、、、戦前・戦中の日本が民主主義国家?
そのとおりだ。
>戦前、戦中の実際の生活がどうだったか勉強して下さい。
ハァ?
実際の生活?
貧乏なら民主主義とは言えないのか?
>・・・いわゆる「独裁者」なしで独裁政治と同じ社会になっていました。まあ強いて言えば東條がそれに近かったかな、、、自分に反対するものは陸軍の高官でもたちまち最前線の死地に追いやり、
東条が独裁政治をしてたのか?
アホかい?
それと、東条の話が本当かどうか知らんが、徴兵制があると民主主義国家でなくなるのか?
指導者の判断によって誰かを徴兵に指名することが、民主主義国家に有ってもおかしくないだろ。
>極端な国家神道しか認めず他の宗教を迫害、各宗派に分かれていたキリスト教が日本基督教団にまとめられたのはそのせいですよ。
――――――――
ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006/05/26, 産経新聞
■教皇庁も認めた「慣行」
(一部抜粋)
日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。
その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行ではない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。
戦後も敬虔(けいけん)なキリスト教徒だとされる大平正芳氏や吉田茂氏などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。
――――――――
>「独裁政治」の定義などどうでもいいのです。当時の実際の生活がどんなものだったかを勉強しましょう。
実際の生活?
戦争で総力戦を行っていれば、大抵の国の生活は苦しいはずだぞ?
それに、実際の生活云々とか言うなら、支那の上海は民主主義で内陸部の農村は共産主義なのか?
去年の11月の投稿にレスを寄越した割には頓珍漢な内容だな。
そのとおりだ。
>戦前、戦中の実際の生活がどうだったか勉強して下さい。
ハァ?
実際の生活?
貧乏なら民主主義とは言えないのか?
>・・・いわゆる「独裁者」なしで独裁政治と同じ社会になっていました。まあ強いて言えば東條がそれに近かったかな、、、自分に反対するものは陸軍の高官でもたちまち最前線の死地に追いやり、
東条が独裁政治をしてたのか?
アホかい?
それと、東条の話が本当かどうか知らんが、徴兵制があると民主主義国家でなくなるのか?
指導者の判断によって誰かを徴兵に指名することが、民主主義国家に有ってもおかしくないだろ。
>極端な国家神道しか認めず他の宗教を迫害、各宗派に分かれていたキリスト教が日本基督教団にまとめられたのはそのせいですよ。
――――――――
ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006/05/26, 産経新聞
■教皇庁も認めた「慣行」
(一部抜粋)
日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。
その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行ではない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。
戦後も敬虔(けいけん)なキリスト教徒だとされる大平正芳氏や吉田茂氏などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。
――――――――
>「独裁政治」の定義などどうでもいいのです。当時の実際の生活がどんなものだったかを勉強しましょう。
実際の生活?
戦争で総力戦を行っていれば、大抵の国の生活は苦しいはずだぞ?
それに、実際の生活云々とか言うなら、支那の上海は民主主義で内陸部の農村は共産主義なのか?
去年の11月の投稿にレスを寄越した割には頓珍漢な内容だな。
これは メッセージ 16398 (kanbaku9999 さん)への返信です.