満蒙開拓団へ譲られた?中国農民の土地 1
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/12/26 06:29 投稿番号: [15547 / 41162]
>ハァ?
日本政府が満州で農地の区切りをやったのか?
具体的に何をしたのか根拠を示して説明してくれ。
こんな事すら 知らずに大口、叩いてんだから、、呆れちゃうね(笑)
まず、勉強の為の序説だよ、、よ〜〜く 読んでおけよ(笑)
質問主意書
質問第六四号
日本政府が派遣した「満蒙開拓団」に関する質問主意書
右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
平成十八年六月五日
吉 川 春 子
参議院議長 扇 千 景 殿
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日本政府が派遣した「満蒙開拓団」に関する質問主意書
第二次世界大戦中、日本政府は、満州(現在の中国東北部)に行けば一人当たり二十町歩の土地を与えると宣伝して、農民を中心に満蒙開拓団を送り込んだ。その数は二十数万人と言われている。
一九四五年八月九日のソ連軍参戦、同年八月一五日の日本軍敗戦によって、満州は大混乱に陥った。開拓団員とその家族からは、日本への引き揚げ途中に約十万人の死亡・行方不明者を出した。満蒙開拓団を「派遣」したことによる中国人の人的被害は、それ以上とも言われている。さらに、多くの「残留孤児・残留婦人」が生じており、彼らの中には中国の人々に育てられたものも少なくない。
「満蒙開拓は決して過去のものではない。『日本人のしてきたこと』の記憶を失っては歴史は乗り越えられない。」(中繁彦著『沈まぬ夕日−満蒙開拓の今を生きる中島多鶴』)とあるとおりである。
私は、中国残留孤児・婦人問題を度々国会で取り上げてきており、一九九三年には満蒙開拓団に関連して「中国残留婦人の永住帰国の実現に関する質問主意書」(第百二十八回国会質問第一号。以下「前回質問主意書」という。)を提出しているところであるが、今回、以下の事項について改めて質問する。
一 廣田内閣の「二十カ年百万戸移民送出計画」について
1 一九三六年八月二五日に廣田内閣が策定した「二十カ年百万戸移民送出計画」(以下「本移民計画」という。)においては、入植戸数の目標を「おおむね二十カ年に約百万戸(五百万人)を入植せしむ」としている。別添の満州開拓農民入植図には、旧満州における開拓団の名前がびっしりと記されている。
そこで、旧満州に送り込んだ開拓団の数及び人数を、都道府県別に明らかにされたい。
2 本移民計画における移民用地の予定地域及び面積(町歩)を、国有土地(逆産地(抗日運動に参加した中国人の所有地)を含む。)、公有地、不明地主の土地の各区分に沿って示されたい。
3 前回質問主意書に対する一九九三年一〇月二二日付け答弁書において、開拓地面積については、満州拓殖公社の一九四四年度における決算説明書によれば総面積六百二十万四千ヘクタールとなっている旨が示されている。
満州拓殖公社の決算説明書では作付面積しか分からないが、劉含発氏の論文「日本人満洲移民用地の獲得と現地中国人の強制移住」においては、一九三九年までに満州国と満州拓殖公社が獲得した土地の総面積は千九百六十万二千二百ヘクタールであり、そのうち既耕地百五十一万六千ヘクタール(総面積の七・七パーセント)、その他は放牧採草地、荒れ地などの不可耕地とされている。
このように、現地住民から取得した土地面積と作付面積には大幅な違いがある。政府は、満州国等から取得した開拓地の総面積について正確に把握しているか、具体的に明らかにされたい。
日本政府が満州で農地の区切りをやったのか?
具体的に何をしたのか根拠を示して説明してくれ。
こんな事すら 知らずに大口、叩いてんだから、、呆れちゃうね(笑)
まず、勉強の為の序説だよ、、よ〜〜く 読んでおけよ(笑)
質問主意書
質問第六四号
日本政府が派遣した「満蒙開拓団」に関する質問主意書
右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
平成十八年六月五日
吉 川 春 子
参議院議長 扇 千 景 殿
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日本政府が派遣した「満蒙開拓団」に関する質問主意書
第二次世界大戦中、日本政府は、満州(現在の中国東北部)に行けば一人当たり二十町歩の土地を与えると宣伝して、農民を中心に満蒙開拓団を送り込んだ。その数は二十数万人と言われている。
一九四五年八月九日のソ連軍参戦、同年八月一五日の日本軍敗戦によって、満州は大混乱に陥った。開拓団員とその家族からは、日本への引き揚げ途中に約十万人の死亡・行方不明者を出した。満蒙開拓団を「派遣」したことによる中国人の人的被害は、それ以上とも言われている。さらに、多くの「残留孤児・残留婦人」が生じており、彼らの中には中国の人々に育てられたものも少なくない。
「満蒙開拓は決して過去のものではない。『日本人のしてきたこと』の記憶を失っては歴史は乗り越えられない。」(中繁彦著『沈まぬ夕日−満蒙開拓の今を生きる中島多鶴』)とあるとおりである。
私は、中国残留孤児・婦人問題を度々国会で取り上げてきており、一九九三年には満蒙開拓団に関連して「中国残留婦人の永住帰国の実現に関する質問主意書」(第百二十八回国会質問第一号。以下「前回質問主意書」という。)を提出しているところであるが、今回、以下の事項について改めて質問する。
一 廣田内閣の「二十カ年百万戸移民送出計画」について
1 一九三六年八月二五日に廣田内閣が策定した「二十カ年百万戸移民送出計画」(以下「本移民計画」という。)においては、入植戸数の目標を「おおむね二十カ年に約百万戸(五百万人)を入植せしむ」としている。別添の満州開拓農民入植図には、旧満州における開拓団の名前がびっしりと記されている。
そこで、旧満州に送り込んだ開拓団の数及び人数を、都道府県別に明らかにされたい。
2 本移民計画における移民用地の予定地域及び面積(町歩)を、国有土地(逆産地(抗日運動に参加した中国人の所有地)を含む。)、公有地、不明地主の土地の各区分に沿って示されたい。
3 前回質問主意書に対する一九九三年一〇月二二日付け答弁書において、開拓地面積については、満州拓殖公社の一九四四年度における決算説明書によれば総面積六百二十万四千ヘクタールとなっている旨が示されている。
満州拓殖公社の決算説明書では作付面積しか分からないが、劉含発氏の論文「日本人満洲移民用地の獲得と現地中国人の強制移住」においては、一九三九年までに満州国と満州拓殖公社が獲得した土地の総面積は千九百六十万二千二百ヘクタールであり、そのうち既耕地百五十一万六千ヘクタール(総面積の七・七パーセント)、その他は放牧採草地、荒れ地などの不可耕地とされている。
このように、現地住民から取得した土地面積と作付面積には大幅な違いがある。政府は、満州国等から取得した開拓地の総面積について正確に把握しているか、具体的に明らかにされたい。
これは メッセージ 15510 (deliciousicecoffee さん)への返信です.