Re: 支那<もう近寄らないでくれる?
投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/12/23 09:42 投稿番号: [15440 / 41162]
>> 聖徳太子が日の出国と言っているのだからどうしようもない。対抗意識云々でごまかそうったってだめ。
>聞く耳を持たないんだったら何も話すことはないが?
そんな自分の思い込みだけで話しをされても付き合いきれないな。
聖徳太子は、日本は隋から見て日の出の方角にあり、隋は日本から見て日の沈む方角にある、と書いているだけだ。
聞く耳を持たないのはそっちじゃない?
「自分の思い込みだけで」?
君はこの時点でアウト。
>遣隋使(西暦607年) 隋書の倭国伝の一節
隋の大業3年(推古15年)に遣隋使の小野妹子は洛陽の都を訪れ、隋の皇帝の煬帝に献じた国書には
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや云々」
とあった。
ここに「日出ずる処」とは、まさしく「日の本」すなわち「日本」と同じであり、日本の国号の源流は推古朝にあったことが知られる。
http://jpad.net/nippon.html>●事の起こり
・『日本書紀』によると、607年(推古15)に小野妹子が国書を持って遣隋使として派遣されたとある。
その隋皇帝煬帝に宛てた国書には、「日出処天子到書日没処天子」(日 出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々。)と書かれている。 ちなみに中国の事を「日没する処」としているが当時の中国ではこの表現を見て腹を立てている。というのも日本の方が感覚的にも上を意味していて、中国は今 にも没する国という印象を持たせたに違いないからだ。当時は中国が中心で、日本は中国より東にあり、日の出が早いことからこの言葉が出ている。 (中略)
・「日出処」から「日本」に変化したという説が有力だ。日本と言う国号は「日(太陽 )の本」と言う意味を表わすために作られた言葉であるという。
http://www.astrophotoclub.com/nihon.htm日の下(もと)なんてこじつけ的な説よりずっと信憑性がある。日の下(もと)説の歴史的根拠はなんですか。文献に、わが国の国号は元来「日下」であるが下を本と読み替えるなんてのがあるわけですか。
そして何度もいうように、日本にたとえ日の下(もと)という意味があったとしても「日の始源」という意味を排斥しない。二者択一ではない。
これは メッセージ 15434 (nmwgip さん)への返信です.
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