中国文明史における「事実軽視」
投稿者: ygoto1391 投稿日時: 2006/12/08 10:36 投稿番号: [14805 / 41162]
中国文明史をつぶさに検討していくと、事実や数字の取り扱いに付いて、他の社会には見られない顕著な特徴がみられる。それは一言でいえば「事実の軽視」である。・・中略・・・
中国人はすべてを事実でなく,政治で判断する『政治主義』の文明を持っているのだ。・・・中略・・・
政治的意図が正しければ事実などどうでもいいという例は、中国の歴史にいくらでもみることができる。・・・中略・・・
現に、毛沢東が指導した大躍進のときには、「毛主席の農業指導が当を得て稲がたわわに実り、稲の上に人間が横に寝ることが出来た」といった報道が盛んになされた。・・・中略・・・
こうした事実に対する野放図さは笑って済ませればいいのだが、自分の都合のいいように歪ませた事実を政治の道具として使ってくるときには充分な警戒が必要だ。
一例として日中戦争の被害者数を挙げよう。これは小島朋之慶応大学教授の指摘だが、1951年、共産党政権発足当初には、「約1千万人の中国人の命が奪われ、五百億ドルの財産が破壊された」と主張していた。それが72年の田中訪中後、じりじりと増えていくのである。85年には二千二百万人、1千億㌦となり、江沢民体制の95年になると、三千五百万人、五千六百億ドルと跳ね上がってしまう。(産経新聞2001年8月9日付)。東京裁判では中国の検察官が「死傷者数は三百二十万人(軍人だけ)だった」と証言しているから、おそらく根拠となる統計自体が存在しないのだろう(秦郁彦「盧溝橋事件」岡崎久彦他『運命の十年』所載)
『覚
悟』
中西輝政著
文芸春秋社
2005年10月
第1刷より
私の紹介する本は殆ど公立図書館で借りたものです。どこの図書館にもあるはずです。
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