Re: 平和ボケ、、、
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/11/22 22:18 投稿番号: [14428 / 41162]
>>終戦に関しては、もしもアメリカが日本の受諾できる条件をはっきり明記して日本に降伏を呼びかければ
>そんな戦争がどこにあるのか?!
あるよ。
1937年に日本が支那に対して支那が受諾できる条件をはっきり明記して支那に何度も和平を呼びかけていた。
俺の投稿をちゃんと読めよ。
1937年8月時点で日本は大幅に譲歩した条件を支那に提案した。
――――――――
(日本の和平案)
・塘沽協定の解消
・梅津−何應欽協定の解消
・土肥原−秦徳純協定の解消
・冀察政権の解消
・冀東特殊貿易の廃止
・非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
・華北における自由飛行の廃止
・中国側が要求すれば上海停戦協定をも解消
――――――――
上記の条件を基に1937年8月9日に会談が予定されていたが、支那の保安隊が上海で海軍陸戦隊の大山中尉と運転手を惨殺して会談を吹っ飛ばした。
後年、蒋介石の側近が蒋介石の命令だったと証言した。
次に、1937年11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示した。
その内容を駐日独大使は、「穏当なもので、これなら支那側の面子も潰れないだろう」と言った。
後に、白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいだった。
――――――――
(日本側の和平条件)
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
――――――――
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えたが、蒋介石はこれを蹴った。
12月に南京陥落後、日本はまたもや和平を持ちかけた。
条件は少し厳しくなったが、別に領土を要求した訳でもなかった。
前の条件が非常識なくらい譲歩していたから、少し戦勝国らしい体裁を繕っただけだった。
1938年1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが蒋介石は会わず、1月15日に日本の和平案を蹴った。
>中学生が考えても負けるに決まった戦争を「必ず勝つ」と言って真珠湾のだまし討ちで始め、
「必ず勝つ」なんて誰が言ったの?
>当時の指導者たちが何を言っていたか知っているのですか? 日本が焦土となって国民がみんな死んでもいい、と言っていたのですよ。
それは誰が言っていたの?
>こちらから仕掛けたケンカでめちゃ負けして
日本が仕掛けたわけではない。
アメリカは日本に石油を輸出しないことにした。
「日本に石油を売らない」と言うことは、日本に「死ね」と言ったのと同じことだ。
(戦前、)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
パル判事も、「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、例えモナコやルクセンブルグでも矛を持ち立ち上がるだろう」と述べて日本の無罪を主張した。
>そんな戦争がどこにあるのか?!
あるよ。
1937年に日本が支那に対して支那が受諾できる条件をはっきり明記して支那に何度も和平を呼びかけていた。
俺の投稿をちゃんと読めよ。
1937年8月時点で日本は大幅に譲歩した条件を支那に提案した。
――――――――
(日本の和平案)
・塘沽協定の解消
・梅津−何應欽協定の解消
・土肥原−秦徳純協定の解消
・冀察政権の解消
・冀東特殊貿易の廃止
・非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
・華北における自由飛行の廃止
・中国側が要求すれば上海停戦協定をも解消
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上記の条件を基に1937年8月9日に会談が予定されていたが、支那の保安隊が上海で海軍陸戦隊の大山中尉と運転手を惨殺して会談を吹っ飛ばした。
後年、蒋介石の側近が蒋介石の命令だったと証言した。
次に、1937年11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示した。
その内容を駐日独大使は、「穏当なもので、これなら支那側の面子も潰れないだろう」と言った。
後に、白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいだった。
――――――――
(日本側の和平条件)
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
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11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えたが、蒋介石はこれを蹴った。
12月に南京陥落後、日本はまたもや和平を持ちかけた。
条件は少し厳しくなったが、別に領土を要求した訳でもなかった。
前の条件が非常識なくらい譲歩していたから、少し戦勝国らしい体裁を繕っただけだった。
1938年1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが蒋介石は会わず、1月15日に日本の和平案を蹴った。
>中学生が考えても負けるに決まった戦争を「必ず勝つ」と言って真珠湾のだまし討ちで始め、
「必ず勝つ」なんて誰が言ったの?
>当時の指導者たちが何を言っていたか知っているのですか? 日本が焦土となって国民がみんな死んでもいい、と言っていたのですよ。
それは誰が言っていたの?
>こちらから仕掛けたケンカでめちゃ負けして
日本が仕掛けたわけではない。
アメリカは日本に石油を輸出しないことにした。
「日本に石油を売らない」と言うことは、日本に「死ね」と言ったのと同じことだ。
(戦前、)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
パル判事も、「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、例えモナコやルクセンブルグでも矛を持ち立ち上がるだろう」と述べて日本の無罪を主張した。
これは メッセージ 14396 (kanbaku9999 さん)への返信です.