Re: ゴー宣、三笠宮証言、日本の核武装
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/11/22 22:02 投稿番号: [14425 / 41162]
>これが原因でケネディはCIAと対立し、暗殺されたという説もある。
だから何?
日本には情報機関は要らないと言いたいのか?
>私事で恐縮だが、私の姉はアメリカで旧共産圏のポーランドから亡命してきた医者と結婚し、子どもをもうけ平凡な生活をしていた。
>しかし、姉の家は冷戦が終わるまで、24時間FBIに監視され、不気味であったという。
だから何?
オマエの方がよほど不気味だ。
>近所の人の話では、その青年はスパイ容疑で警官に追われていたという。
>その青年が死んだかどうかは分からない。
だったら、その青年はスパイだったんだろ。
戦時中にスパイを野放しには出来ないだろ?
>スパイに対する法律は改正する必要があると思うが、戦前のような、不敬罪、治安維持法、集会の禁止、密告制度、宗教弾圧など、現代の日本には全く必要ない。
治安を維持して何が悪い?
それと「宗教弾圧」って何?
出鱈目ばかり言ってんじゃないよ!
――――――
◆「大日本帝国憲法」
第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ゲズ及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二十九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
――――――
Japan On the Globe(242)
大日本帝国憲法
〜アジア最初の立憲政治への挑戦
■5.国家の機軸は?■
日本の歴史と文化に根ざした憲法とは、どのようなものであるべきか?
伊藤はシュタインとの議論を続けた。シュタインは宗教を通じて国家と国民との精神的一致をはかるために、国教の制定を勧めた。確かに英国もドイツもキリスト教が国民統合の「機軸」となっている。
しかし、ヨーロッパでの悲惨な宗教戦争を見れば、国教制定は文明に逆行する制度に思われた。この点ではかえって日本の方が多様な宗教宗派が自由かつ平和的に共存してきた先進的な歴史がある。
信教の自由はこれを近世文明の一大美果として看(み)るべく、しかして人類のもっとも至貴至重なる本心の自由と正理の伸長は、・・・ついに光輝を発揚するの今日に達したり。けだし本心の自由は人の内部に存するものにして、もとより国法の干渉する区域の外にあり。
シュタインの「一国の歴史に根ざした憲法」という原則に忠実であればこそ、伊藤は師の「国教を」という具体的提言を受け入れるわけにはいかなかった。
――――――
ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006/05/26, 産経新聞
■教皇庁も認めた「慣行」
(抜粋)
日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。
その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行ではない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。
戦後も敬虔(けいけん)なキリスト教徒だとされる大平正芳氏や吉田茂氏などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。
だから何?
日本には情報機関は要らないと言いたいのか?
>私事で恐縮だが、私の姉はアメリカで旧共産圏のポーランドから亡命してきた医者と結婚し、子どもをもうけ平凡な生活をしていた。
>しかし、姉の家は冷戦が終わるまで、24時間FBIに監視され、不気味であったという。
だから何?
オマエの方がよほど不気味だ。
>近所の人の話では、その青年はスパイ容疑で警官に追われていたという。
>その青年が死んだかどうかは分からない。
だったら、その青年はスパイだったんだろ。
戦時中にスパイを野放しには出来ないだろ?
>スパイに対する法律は改正する必要があると思うが、戦前のような、不敬罪、治安維持法、集会の禁止、密告制度、宗教弾圧など、現代の日本には全く必要ない。
治安を維持して何が悪い?
それと「宗教弾圧」って何?
出鱈目ばかり言ってんじゃないよ!
――――――
◆「大日本帝国憲法」
第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ゲズ及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二十九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
――――――
Japan On the Globe(242)
大日本帝国憲法
〜アジア最初の立憲政治への挑戦
■5.国家の機軸は?■
日本の歴史と文化に根ざした憲法とは、どのようなものであるべきか?
伊藤はシュタインとの議論を続けた。シュタインは宗教を通じて国家と国民との精神的一致をはかるために、国教の制定を勧めた。確かに英国もドイツもキリスト教が国民統合の「機軸」となっている。
しかし、ヨーロッパでの悲惨な宗教戦争を見れば、国教制定は文明に逆行する制度に思われた。この点ではかえって日本の方が多様な宗教宗派が自由かつ平和的に共存してきた先進的な歴史がある。
信教の自由はこれを近世文明の一大美果として看(み)るべく、しかして人類のもっとも至貴至重なる本心の自由と正理の伸長は、・・・ついに光輝を発揚するの今日に達したり。けだし本心の自由は人の内部に存するものにして、もとより国法の干渉する区域の外にあり。
シュタインの「一国の歴史に根ざした憲法」という原則に忠実であればこそ、伊藤は師の「国教を」という具体的提言を受け入れるわけにはいかなかった。
――――――
ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006/05/26, 産経新聞
■教皇庁も認めた「慣行」
(抜粋)
日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。
その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行ではない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。
戦後も敬虔(けいけん)なキリスト教徒だとされる大平正芳氏や吉田茂氏などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。
これは メッセージ 14391 (fukagawatohei さん)への返信です.