Re: さすが 野ツボもコーヒーで一杯だぜ
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/10/09 21:23 投稿番号: [13151 / 41162]
>でもな、正直な話、戦中の政治家が憲法を草案しても、今のような自由で民主主義的な憲法を立案なんて出来なかったっていうのが、ホントの話しなんだよ(笑)
だから、日本は戦前・戦中から自由だったし民主主義だったっつーの。
戦争の最中に検閲などを行なうのは世界中どこの国も同じだ。
#10066などを見ると、アメリカのマスコミ統制の方が、日本のマスコミ統制よりも、厳格だった。
ラルフ タウンゼントやK・カール・カワカミなどの親日的な言論人は、刑務所にぶち込まれた。
いったい、どっちが自由な民主主義だ?
>従って、日本が自主憲法を制定していたならば、今ほどの繁栄は望めなかったっていいうことだ(笑)
全く根拠のないオマエの妄想に過ぎない。
>日本の民主主義、、確かに選挙は行ってたがね、翼賛会選挙、読んだだろう、、反対派の候補者は逮捕に監禁、までされて、選挙に出てるんだよ、、まさに命がけの選挙なんだよ、、
選挙違反その他の犯罪を行なえば候補者であろうが、逮捕・監禁されるのは当然だ。
>フィリッピンでもインドネシアでも、やってたな、、開票前に投票箱が無くなっちまったり、、投票用紙がすり替えられたり、候補者が殺害されたりな、、これらの国も民主主義国だぜ(笑)
(・・。)ん?
当時の日本でそんな事があったのか?
なければ悪質な印象操作だぞ。
>アンタの目の前にある、北朝鮮も北朝鮮民主人民共和国だぜ、これも民主主義を掲げてるぜ(笑)当然 投票もやってるよ、、中国共産党も選挙やってる、
やる前から結果が判っている選挙だろ。
このことからも、戦前・戦中の日本の方が、今の支那・朝鮮よりも、遥かに自由な民主主義だったことが分かるだろ?
Q−08、戦前の民主主義について
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/minshushugi.html
(一部抜粋)
Q.大政翼賛会は独裁政治だったのですか
A.日本は、ドイツやソ連や中国のような独裁体制ではありませんでした。
昭和12年7月に始まった日中戦争が長引き太平洋戦争が始まって、日本も総力戦の体制になっていきましたが、日本はドイツやソ連や中国のような独裁体制ではありませんでした。独裁とは一国一党体制で大統領や首相(総統や書記長)に任期がないことです。
昭和15年12月に大政翼賛会ができましたが、これは当時のナチスや共産党のような一国一党の独裁政党ではなく、実体はいくつかの勢力の寄り合い所帯であり内部紛争が絶えませんでした。そのため大政翼賛会は行政の補助機関のようになり、昭和16年の9月に翼賛議員同盟が創設され、衆議院議員はこの他にも同交会、興亜議員同盟、議員クラブ、同人グラブ、無所属などに分れました。
昭和16年に太平洋戦争が始まり、戦争中の昭和17年2月に東条首相は翼賛政治体制協議会を結成し、4月の第21回総選挙では衆議院の立候補者を推薦するいわゆる翼賛選挙を行ないました。しかし、衆議院選挙の結果は推薦議員は381名で非推薦議員は85名でした。中野正剛、鳩山一郎、三木武吉、芦田均、笹川良一などの非推薦組の議員達は程度の違いはあっても、反東条派でした。
この太平洋戦争中の衆議院選挙で推薦議員が多く当選したのは、有権者がこの非常時には政府に一致協力すべきだという考えがあったからだと思います。しかし、この時でも非推薦の候補者も当選できたのです。例えば、尾崎行雄は推薦選挙に反対して東条内閣に公開状を送りその中止をもとめたり演説をおこなったりしましたが、当選しています。また斎藤隆夫は、昭和15年に衆議院で軍と政府を批判する演説をして衆議院議員を除名されていましたが、但馬選挙区で最高点で復活当選しています。
その斎藤の除名の原因となった演説は、下記のように一部を抜き出しただけではわかりにくいかもしれませんが、単なる反戦演説ではなく、リアリズムの政策と弱肉強食の国際社会の現実に基づいた演説でした。斎藤議員に対する除名決議に対して、3分の1の議員が棄権し、反対票を投じた議員は7名いました。
だから、日本は戦前・戦中から自由だったし民主主義だったっつーの。
戦争の最中に検閲などを行なうのは世界中どこの国も同じだ。
#10066などを見ると、アメリカのマスコミ統制の方が、日本のマスコミ統制よりも、厳格だった。
ラルフ タウンゼントやK・カール・カワカミなどの親日的な言論人は、刑務所にぶち込まれた。
いったい、どっちが自由な民主主義だ?
>従って、日本が自主憲法を制定していたならば、今ほどの繁栄は望めなかったっていいうことだ(笑)
全く根拠のないオマエの妄想に過ぎない。
>日本の民主主義、、確かに選挙は行ってたがね、翼賛会選挙、読んだだろう、、反対派の候補者は逮捕に監禁、までされて、選挙に出てるんだよ、、まさに命がけの選挙なんだよ、、
選挙違反その他の犯罪を行なえば候補者であろうが、逮捕・監禁されるのは当然だ。
>フィリッピンでもインドネシアでも、やってたな、、開票前に投票箱が無くなっちまったり、、投票用紙がすり替えられたり、候補者が殺害されたりな、、これらの国も民主主義国だぜ(笑)
(・・。)ん?
当時の日本でそんな事があったのか?
なければ悪質な印象操作だぞ。
>アンタの目の前にある、北朝鮮も北朝鮮民主人民共和国だぜ、これも民主主義を掲げてるぜ(笑)当然 投票もやってるよ、、中国共産党も選挙やってる、
やる前から結果が判っている選挙だろ。
このことからも、戦前・戦中の日本の方が、今の支那・朝鮮よりも、遥かに自由な民主主義だったことが分かるだろ?
Q−08、戦前の民主主義について
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/minshushugi.html
(一部抜粋)
Q.大政翼賛会は独裁政治だったのですか
A.日本は、ドイツやソ連や中国のような独裁体制ではありませんでした。
昭和12年7月に始まった日中戦争が長引き太平洋戦争が始まって、日本も総力戦の体制になっていきましたが、日本はドイツやソ連や中国のような独裁体制ではありませんでした。独裁とは一国一党体制で大統領や首相(総統や書記長)に任期がないことです。
昭和15年12月に大政翼賛会ができましたが、これは当時のナチスや共産党のような一国一党の独裁政党ではなく、実体はいくつかの勢力の寄り合い所帯であり内部紛争が絶えませんでした。そのため大政翼賛会は行政の補助機関のようになり、昭和16年の9月に翼賛議員同盟が創設され、衆議院議員はこの他にも同交会、興亜議員同盟、議員クラブ、同人グラブ、無所属などに分れました。
昭和16年に太平洋戦争が始まり、戦争中の昭和17年2月に東条首相は翼賛政治体制協議会を結成し、4月の第21回総選挙では衆議院の立候補者を推薦するいわゆる翼賛選挙を行ないました。しかし、衆議院選挙の結果は推薦議員は381名で非推薦議員は85名でした。中野正剛、鳩山一郎、三木武吉、芦田均、笹川良一などの非推薦組の議員達は程度の違いはあっても、反東条派でした。
この太平洋戦争中の衆議院選挙で推薦議員が多く当選したのは、有権者がこの非常時には政府に一致協力すべきだという考えがあったからだと思います。しかし、この時でも非推薦の候補者も当選できたのです。例えば、尾崎行雄は推薦選挙に反対して東条内閣に公開状を送りその中止をもとめたり演説をおこなったりしましたが、当選しています。また斎藤隆夫は、昭和15年に衆議院で軍と政府を批判する演説をして衆議院議員を除名されていましたが、但馬選挙区で最高点で復活当選しています。
その斎藤の除名の原因となった演説は、下記のように一部を抜き出しただけではわかりにくいかもしれませんが、単なる反戦演説ではなく、リアリズムの政策と弱肉強食の国際社会の現実に基づいた演説でした。斎藤議員に対する除名決議に対して、3分の1の議員が棄権し、反対票を投じた議員は7名いました。
これは メッセージ 13125 (yominokuni56 さん)への返信です.